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マルセル・デュシャン
​  「メディア上のインスタレーション」 マルセル・デュシャン(前編)



いったい このフランス人は 何を作り出そうというのか?
アメリカにデュシャンは 援助者たちの後期の目に囲まれて 「大ガラス」の制作を始める 二枚のガラス板がぴったりと合わせられた二対の「大ガラス」のあいだには 数々の前衛的な実験から得た抽象的な図像が封じ込められる  それらの図像につけられた指摘で難解な解説とエロティックなタイトルは 援助者たちの関心をこのうえなくかきたてた

 

 

 

 

 

 



Marcel 
Duchamp
1887-1968
 

1887 Blainville, Normandyに生まれる 父は公証人 
    兄に画家ジャック・ヴィヨン 彫刻家デュシャン・ヴィヨン

1902   15歳絵を描き始める 

1905   パリに出 兄たちと合流 アカデミー・ジュリアンに通い アカデミックな画家養成法を軽蔑する 

1912  25歳「大ガラス」の着想を得てノートを作り始める 

1913「階段を降りる裸体No.2」アーモリーショーで話題になる 
         最初のレディ・メイド「自転車の車輪」をつくる 

1915  28歳アメリカに渡る 「大ガラス」制作始める 

1923「大ガラス」未完のまま制作終える 
         以後芸術活動を放棄したとみなされていた 

1927  リディ・サザラン=ルヴァソールと結婚 

1932  チェスに没頭する 

1939「大ガラス」のノートを複製したグリーンボックスを制作する 

1954 67歳アレクシナ・サトラーと再婚 

1968 死亡 遺作を制作していたことが発見される 

1969 遺作 フィラデルフィア美術館に常設される 

プロペラに飲み込まれた芸術

デュシャンに 近代芸術からの転換を促したのは 一個のプロペラでした  時は 二〇世紀の始め ブランクーシ レジェらと航空展を訪れ モーターやプロペラのまわりを ものもいわずに歩きまわったデュシャンは 突然 ブランクーシにこう問いかけました

 

「絵画は終った このプロペラに勝るものをいったい誰がつくれるか どうだね 君は?」
フェルナン・レジェ、ドラ・バリエとの対話、1954 .みずえ 1977 .6

デュシャンが プロペラに見た芸術の敗北は 一目瞭然の決定的なものでした

事物の機能面を追求する 科学・技術の描く曲線は 画家が 美を追求して生み出す曲線 をはるかに凌ぐ 精度の高さ を示していました

近代絵画が 画家の感覚 を頼りに追求した<純粋な美>は プロペラに 大きく溝をあけられ 今や科学・技術の築いた日常の時間空間に すっポリ飲みこまれてしまっていました 

この埋めようのない落差が デュシャンを愕然とさせたのです 

思えば アングルが 写真技術の禁止を求める訴訟 を起こしたあたり* から もう芸術の敗北は始まっていました

プロペラ事件を一つの契機として デュシャンは まだ誰も試みていない 現代芸術への一歩 を踏み出します  
*1846年 アングルらは写真術を絵画に対する不正な競合業種だとして取り締まるよう 時の政府に訴訟を起こした 
 

レディ・メイド 

 

 

 

 


                              レディ・メイド「自転車の車輪」1913-4 
 

デュシャンの先見性は 後の アメリカ現代美術の展開 をほぼ網羅する広がり をみせています その営みの一つが 既製品を 美的感覚によらずに選ぶ レディ・メイドです

ここで重要な点は 彼が ただ作ること の代わりに 既成品を「選ぶ」のでなく 近代芸術の<純粋な美> を追求してきた 画家の感覚 感性を捨て去る行為 として「選ぶ」についていることです 


 

 

 

 



                          レディ・メイド「瓶乾燥器 」1913
 

自転車の車輪を逆さにして円椅子に乗せた「自転車の車輪」1913-4 「瓶乾燥器 」1913 や後で取り上げる「泉」1917 などがそれです 
作品を作らずに 既製品を選び取ること があらたな芸術表現であり得る とするデュシャンの主張の根拠はどこにあるのでしょうか? 
その根拠は まず 彼が時代の状況を<科学・技術による疎外>としてとらえたこと にあります 

現代を 事物の面からみると 前述のプロペラ事件 にみたように 科学・技術が生み出す 高精度な事物は 芸術作品の美の精度 を上回るリアリティ を持つようになりました

現実の事物を作り出す緻密さにおいては もはや芸術に出番はありませんでした

また 幻想の面でも 古典的な芸術の幻想が 科学技術につき崩されて以来 近代芸術は<科学・技術による疎外>を全体としてとらえきれず 世界をさらなる展開に導くことはありませんでした 
芸術は みずからの領域に自足して その命脈を保とうとしますが それは むしろ時代の認識の進展を妨げる役割 を果たすことになります

このような状況認識から デュシャンは 芸術表現を科学・技術と芸術の双方からの<疎外>に対するもの としてかんがえます 

 

精神の思考する自由

「私は何事も受け入れることを拒み あらゆる事を疑った そう あらゆるものを疑ったので 私は以前には存在しないもの また 以前には考えたこともなかったもの を見い出さねばならなかった 何かが頭に浮かぶと 私はそれをひっくり返してみて 別の方向から見ようとした」
「現代美術五人の巨匠」カルビン・ホプキンス.1972
 

科学・技術が生む 高精度の事物は 機能と効率を求めて作られています しかし 何も 機能と効率の脈絡からばかり 事物や世界を見る必要はないのです また かといって かつての芸術の見方に縛られる必然 もある訳ではないのです なぜなら 芸術も すでに時代のなかで 趣味の機能を果たすだけのものに なっていたからです 
デュシャンは 近代画家が 自己の最上位にすえてきた 感覚・感性を放棄し かんがえる自由 即ち 新たな世界の見方を 概念としてつくりだす 精神の自由 を芸術表現の最上位 にすえました 
レディ・メイドは 機能を追求する 科学・技術と 美を求めるかつての芸術を あくまで批判の対象とすること からかんがえ出されました 

 

「....周知のとおり 芸術とは 語源的に言えば 作る 手で作る ってことなんだからね それなのに 私は 作るかわりに既製品をもってきた ということは レディ・メイドは 芸術を定義することの可能性 を否定する形式 ということになります たとえば 誰も 電気を定義しようとはしないでしょう われれは 電気を使った結果 だけ見てるんで 電気そのもの を定義しはしない 」
Marcel Duchamp Speaks B.B.C放送 1959年 訳 松岡和子みずえ1977. 6月号 
 

デュシャンのレディ・メイドは 芸術と科学・技術に対する 言わば 両刃の刃です 
それは 芸術の<作る>に 既製品の精度を突きつけ もう一方の 高い<機能>をもつ既製品には 機能をはずした 概念の脈絡 をつきつけます この行為によって 不備を指摘された両者の間に浮かび上がるのが デュシャンの思考から生まれた 新たな世界の見方 として提出された芸術表現です
現代美術は デュシャンの思考する自由の実践 を先達として展開されていきます

 

「泉」1917

 

 

 

 




「泉」1917 スティーグリッツによる写真
 

近代の破綻を象徴する 第一次世界大戦も間近い一九一六年 スイス チューリッヒ のフーゴ・バルのもとに集まった芸術家たちによる 既成の文化芸術を否定する前衛芸術運動 がダダイズムです
その表現は 刹那的でナンセンスなもの が大半でしたが 破綻しつつある近代の成果すべて を否定し 問い直そうとするものでした 
デュシャンは ダダイズムの否定の精神 を受け継ぎ 芸術と科学・技術の双方からの<疎外>の認識 を芸術表現の基盤にすえるのです 
彼の レディ・メイドは <芸術による疎外>と<科学・技術による疎外>の全容 を浮き彫りにする試み の一つです 

一九一七年 ニューヨーク最初のアンデパンダン展 に出品を乞われたデュシャンは 彼のレディ・メイドのひとつ 「泉」と名付けた既製品の便器 を出品しようと企てます 
しかし 「泉」は 当然予想されたように 展示を拒否されます それは 当時の前衛芸術の範疇からは 理解をこえた芸術表現でした 
デュシャンが 既製品の便器 「泉」を出品しようとする企てには かつての芸術の 二つの慣習を皮肉り その遵守を告発する 仕掛けが含まれています 
その慣習のひとつは 画家が作品にするサインです デュシャンも 同じように この作品にサインをしますが ただの便器は このサインのせいで 過激な意味を帯びます 便器にされた R・MUTT 1917 のサインは 便器の製作会社Mott Works のもじりです 彼によれば Rは リチャードのイニシャルですが 登録商標の略号でもあります

リチャードには 馬鹿者という意味があるので 登録商標 阿呆のマットです

このサインによって 便器は次のような意味を帯びます 
<従来の芸術を守る画家たちは 便器のような既製品と まったく変るところのない 既成の概念 を事物化したに過ぎない作品を作り その恭しいサインは 自らに 阿呆のリチャード印 をつけるに等しい>

「泉」1856 Dominique Ingres

もう一つは 作家が作品に題名をつける行為です

デュシャンがつけた題名は 便器にはいかにも不似合いな「泉」(fountain)という 詩的なものです 
その題名から 新古典主義のアングルの「泉」が 直ちに思い浮かびます

古典や近代の表現では 作家が 先人の題材を借り 新たな表現の展開を図ることは 珍しいことではありません  しかし ここでは 事情が大分違っています

「泉」という題名は 便器から「泉」(噴水)のように 液体が噴出する かなり悲惨で 喜劇的な 混乱した事態 を想像させ 題名の持つ詩情は台無しです  

 

 

 

 

 

 

 

 

                         「泉」1856 Dominique Ingres


便器と この題名の組み合わせは 同じ題名の アングルの作品をはじめとする 恭しく題名を頂く すべての芸術作品を茶化し 言わば 足蹴 にしています 

この命名は 既成の芸術の徹底的なからかいです

そこには デュシャンの辛辣な悪意 がたっぷりとこめられています 

リチャード・マット事件

デュシャンは 「泉」の出展が拒否されたことを「リチャード・マット事件」と名付け ただちに次のような抗議文 を発表します 

「六弗を支払えば 作家は誰れでも出品することができることになっている

リチャード・マット氏は 泉という作品を搬入した ところが なんら討議されることもな く 作品は姿を消し ついに展示されなかったのである 
マット氏の泉が拒絶された根拠は
1それが非道徳で俗悪なものだと一部の委員が主張したこと 
2また それは剽窃であり ただの鉛管工事の部品にすぎない という他の主張 
ところで マット氏の泉が非道徳だというのは 浴槽が 非道徳的であるというのと 同じく ばかげている それは 諸君が 鉛管屋のショーウィンドーで 毎日見かける部品である マット氏が 自分の手で この泉を作ったかどうか ということは重要なことではない 彼は それを選んだのである 彼は ありふれた生活用品をとりあげ 新しい標題と観点のもとに その実用の意味が消えてしまうように それを置いたのだ つまり その物質のために 新しい思想を創り出したのだ 
鉛管工事云々についても ばかげている アメリカの生んだ唯一の芸術作品は その鉛管工事と橋なのである 」

「ザ・ブラインドマン」第2号に掲載された「リチャード・マット事件」の無署名の抗議文 , 1917 「デュシャン語録」瀧口修造

「泉」の出展が拒否されたのは デュシャンの予想した通りの結果でした

作品の出展が拒否された以前の経験* から 彼は 出展拒否さえも 表現の一部にすること を企てました 
デュシャンは この抗議文を発表すること に主眼をおいて出展拒否に至る騒ぎ を引き起こしたのです 抗議文は レディ・メイドの解説であり また 近代芸術・美学への批判であり さらに 彼の芸術表現の宣言ともなっています 出展を拒否された便器の方は アルフレッド・スティーグリッツに 写真を撮られた後 早々に行方不明になったそうです おそらく 出展の拒否が決まり すべての手はずが整った時点で 便器自体はご用済みとなり デュシャン自身によって始末されたのでしょう 

*1912年パリ アンデパンダン展で「階段を降りる裸体No.2」をの出品をグループから拒否された 彼はその時以来孤立を貫きとおすことをこころに決めた 

幻のインスタレーション

「泉」は ついに展示されることのなかった 幻のインスタレーションです

デュシャンは 現代美術が登場する三〇年ほど前に 最初のインスタレーション として「泉」をしかけたのです 日の目をみなかった 一個の便器は デュシャンが 表現の重点を 事物を作ることから「新しい思想」を作ること に移したしたことによって 現代芸術の展開を予告する記念碑的存在となりました 

「・・・危険なことは いつも きわめて直接的な 大衆の気に入ろうとすることです このような大衆は わたしたちをとりまき 受けいれ しまいには 献身的にもなり わたしたちに成功をあたえてくれ・・・また ほかのものもあたえてくれます これと反対に わたしたちが真の大衆と接するには たぶん 五〇年から百年 待たねばならないでしょう でも わたしに興味があるのは このような大衆だけなのです 」
創造の秘密,ジェームズ・ジョンソン・スィーニーとの対話,「表象の美学 マルセル・デュシャン」 M・サヌイエ 浜田明 訳 1977 牧神社

新たな芸術表現が「真の大衆」に理解されるには 「五十年から百年待たねばならない」かんがえるデュシャンは そのためにメディアを使います

「事件」の抗議文は 印刷物として 他の書物にも転載され 現在も残されています

「泉」の実物は 早々に姿を消し 大抵の場合 今 私たちが見る「泉」は メディアに掲載された写真です

「<レディ・メイド>の別の側面は それが 独創的な何ものも持たないことである <レディ・メイド>のレプリカは 同じメッセージを伝える。」

「芸術と芸術家」マルセル・デュシャン全著作集 ミッシェル・サヌイエ編 北山研二訳 1996 未知谷

と彼が言うように レディ・メイドの事物の方は 必要とあれば いくらでも差し替えが効きます しかし 八〇年ほど前に デュシャンが仕掛けておいた「泉」の「新しい思想」は 本当はレプリカも必要としないのです

「泉」は メディアに残された情報だけで 十分にその存在を主張し 芸術表現として機能します 

「泉」は 実体を必要としない メディアの上のインスタレーションです

かつての芸術は 教会に納められられ その後は 美術館に保存されるようになりました

ところが  現代では メディア上の記号の集合体としてもある<記号のシステム>が 最も有効な設置場所となったのです

デュシャンの芸術表現 レディ・メイドは 現代のメディアと表現の関係を「五十年・・・」ほど先取りしています 

観る者の中で起こる創造行為

現代美術を予見したデュシャンは 芸術表現にふれる 鑑賞者の立場を重視し 創造行為は 鑑賞者のなかで完結するのだと強調しました 鑑賞者の側にこそ かつての芸術にも 科学・技術の見方にも 縛られない 個人のものの見方の世界が 広がらねば せっかくの「新たな思想」も意味をなしません 

「芸術作品についての 最後の判断を下すのは 見る者なのだ」「・・芸術作品は 作る者と見る者という 二本の電極からなっていて ちょうど この両極間の作用 によって火花が起こるように 何ものかを生み出すのだ」
「花嫁と独身者たちー現代芸術五人の巨匠」

カルビン・トムキンス 中原佑介 高取利尚 訳 美術出版社 1972

彼は 作家の考え出した概念が 表現行為 表現された事物を介して 鑑賞者の側に引き起こす あらたな概念化の営みこそ <芸術作品>だと主張しています

上のかんがえ方は そのまま その後の現代美術の展開を指し示しています 

概念の構築の重視は 概念芸術として 作家と鑑賞者の間をつなぐ表現行為の重視は ハプニングやパフォーマンス に受け継がれていきます 

 

既成の芸術の見方もレディ・メイド

鑑賞者のうちに起こる 概念作用が 芸術表現を完結させる とするデュシャンの主張 に従えば 「泉」という作品は 便器を見ることを通して 鑑賞者のうちの 既成の美意識(既成の美意識もレディ・メイドです )を否応なく意識させ 鑑賞者自身が 新たな世界のとらえ方 を生み出した時点で 出来あがることになります  彼は 自らの既成の美意識に 便器を突きつけられて憤慨する 人々の見方を それも 作品のひとつの完成 として笑いつづけていることでしょう  まさに 憤慨の吹き出す「泉」というわけです

「泉」は 既成の美意識に対する異和 として置かれています

デュシャンが「本当の公衆」に期待したのは その異和をたどること 既成の見方を離れ 自らの心のうちの感情や概念化の動き をたどりなおすことです

彼は 鑑賞者のうちに誘発されるその行為こそが 新たな芸術表現の姿だ と主張したのです 

芸術は美の表現だとする美学的公式

「泉」は デュシャンが 私たちの美意識にしかけた罠です

かつての 美学と美意識こそ「既製品」ではないか という 皮肉で真剣な主張が その根底にあります 

彼は「既製品」になってしまった 美学と美意識に 既製の便器を対置させたのです 

既成の芸術の側に立てば 作品として置かれた「既製品」の便器は 芸術の冒涜 と映り憤慨するしかありません 
しかし 人々のなかには、憤慨するのは早い よく見れば 便器にも美が発見できるではないか と言う識者たちがいます 

彼らは 現代美術は 美を生むための新種の工夫であって その美を理解するには 多少の読解力を要するのだと考えるのです 

「芸術は芸術家以上に 鑑賞者にとって習慣性の麻薬であるということだ 」とデュシャンが嘆くように 彼らは 現代美術を 是が非でも かつての芸術の脈絡 から理解しようとします

「芸術と芸術家」マルセル・デュシャン全著作集 ミッシェル・サヌイエ編 北山研二訳 1996, 未知谷


これらの識者たちに デュシャンの罠は 最も強力に作用します

彼らは 芸術は芸術作品に宿る<固有の美>の表現だ とする美学的公式を固持して「泉」に向かいます そして 彼らは 便器に<固有の美>を見つけ出し それを賛美する という滑稽な行為に陥るのです 

ダントー氏も「泉」の罠に落ちたひとりです

彼は タジ・マハールの白壁のなめらかさ を引き合いに出して 便器に 芸術の<固有の美>を発見します 
Arthur C. Danto アメリカの美学哲学者 「The Philosophical Disenfranchisement of Art」1986, COLUMBIA UNIVERSITY PRESS/N.Y.

「...私がどうしてもはっきりさせておきたい点があるが それは これら<レディ・メイド>の選択が 何かしらの美的楽しみには 決して左右されなかった ということだ この選択は 視覚的無関心 と言う反応に それと同時に 良い趣味にせよ悪い趣味にせよ 趣味の完全な欠如・・・ 実際は 完全な無感覚状態での反応 に基づいていた」
「芸術と芸術家」マルセル・デュシャン全著作集 ミッシェル・サヌイエ編 北山研二訳 1996, 未知谷


上のデュシャンのコメントにもかかわらず ダントー氏は レディ・メイドを許容するため 芸術の<固有の美>を限りなく拡大します しかし 便器の<美>は  同種の既製品の どれもが持つ<均一な美>であり ダントー氏が求める 芸術に<固有の美>から遠く その対極に位置するものです

彼が既製品の<均一な美>を賛美すれば かつての芸術の<固有の美>の根拠を失うという自己矛盾に陥るのです 
デュシャンの「泉」は このように かつての芸術の<美>に固執する見方を 破綻に導く罠なのです

ダントー氏の理解を敷衍しようとする識者は

 

「「泉」が アートの作品であること を学ぶことは それが たんなる便器とは異なった 美的特質をそなえていること を知覚し 鑑賞することである」

と 彼らの発見した<固有の美>を鑑賞することを 私たちに勧めています 
「現代アートの哲学」西村清和、1995産業図書

ダントー氏らの見解に反して 便器は日常の事物になったり 芸術表現の作品になったりすることはなく 当然のことに 便器は便器のままなのです

「泉」として選ばれた便器が 他の便器と異なる「美的特質」を持つことなどありません 
デュシャンが既製品を選ぶのは 彼 が航空機のプロペラに見たように 工業生産物が持つ 均一な精密さが かつての芸術の「美的特質」を圧倒していること に気づいたからです

二〇世紀の科学技術が 大量に生産する事物は どの一つを取り出しても 同様の 均質な精度によるリアリティをもっています

デュシャンが看破したように その 均質な精度のリアリティは 芸術が生む この世にただ一つの芸術作品の<美> のリアリティをはるかにしのいでいました  
彼は 芸術と科学・技術の双方に向かい合い さらなる認識を提示するために 既製品を選びます

デュシャンの芸術表現 「泉」が 鑑賞者のうちで完成をむかえる姿の一つとして <美>を掲げる識者たちの頭上に向かって 悪意の液体を注ぎ続ける様 を思い描くことができます 

再び美学

「ネオ・ダダ これは ニューリアリズム ポップ・アート アセンブリッジなどと呼ばれているが まったく安易に ダダのおこなったことを糧としている

私がレディ・メイドを発見したときは 美学を失望させるつもりだった

ネオ・ダダは 私のレディ・メイドをとりあげ そこに美学上の発見をした

私は瓶かけと便器を 挑戦のためにひとびとの面前に投げつけたのに ネオ・ダダは それらを美学上美しいと賞賛する 」  「現代美術五人の巨匠」 カルビン・ホプキンス,1972

デュシャンの「新たな思想」は かつての芸術に対する反美学の精神の実践です

瓶かけ 便器などのレディ・メイドは 彼の概念的な実践を 現実に止めるための最低限の要素としてあり 芸術の<固有の美>からは最も遠いものです 
ネオ・ダダの作家たちとは R・ラウシェンバーグとJ・ジョーンズをさしています

「私は 限度はあるが あらゆる手だてを尽くして 現在をあがめようとしている」と言うラウシェンバーグの「現在をあがめる」方法は 日常の事物を絵画空間に取り込むことでした

それは 日常の事物のリアリティを あえて抽象表現主義的な<固有の美>に埋め戻す作業でした

その「限度」は 日常の事物と絵画を接合する方法の直接性にありました 

ジョーンズとラウシェンバーグ

ジョーンズは 既成の記号の意味の均質さに挑戦し 記号のデザインを<固有の美>を生み出す絵画の方法で埋めつくす作業 を芸術としました

アメリカ国旗を作品のモチーフにした彼は その制作を

 

「いかに旗を自己表現から遠ざけるかという作業の過程である」

と語ります

しかし 国旗は もともと自己表現から最も遠い 記号性を負わされた事物です

彼の制作の成否は その記号性をいかに自己表現の手つきで扱い切るかにかかっていました 
彼らの特徴は 芸術とは位相を異にする 日常の事物や記号を 芸術の<固有の美>を扱う手つきで扱い そこに生じる落差 のうちに新たなリアリティを生み出すことでした

デュシャンが 直截に批判したように 彼らの誤謬は もともと 芸術の<固有の美>の対極 にある事物や事物 の記号性に <美>を見い出そうとする行為に他ならなかったのです


「絵画がひとつのオブジェならば オブジェもひとつの絵画 でありうるということだ」

 

とは ジョーンズの言葉です

ここにあるのは 事物の視点か絵画の視点かの 二者択一の見方です 
一方

「僕は芸術と現実の間で仕事をする」

「ジャスパー・ジョーンズ」画集より、二〇世紀の旗手の旅 辻井喬 講談社 1993

と言うラウシェンバーグは 芸術と現実の二者を直接重ねています

いずれの見解からも デュシャンかんがえに見られるような 芸術と 科学・技術の生む現実 双方の否定を重ね そこからあらたな概念をうかびあがらせようとする 芸術表現の 弁証法的な構造は失われています
デュシャンは 現代芸術の展開は 依然として自分の仕掛けたレディ・メイドの罠のうちにあり

「本当の大衆や表現者を求めるには五〇年いや百年待たねばならない・・・」

と主張しています

思索!思索!思索!

​デュシャンが制作を始めたのは 二〇世紀の始め 一九二〇年頃からです

彼は 二〇世紀の時空の変化に いち早く反応し 現代芸術の先駆けとなる思索をを展開します

私たちは これまでの画家とは まったく種類の違う 思索の作家を目にすることになります

デュシャンの初期の油絵制作は 近代芸術のそれぞれの手法と 表現概念の限界を調べるための実験です

それは あるスタイルの調査 検証が終わると その制作は終わり というふうになされます

デュシャンの近代芸術の検証は 一九一一年頃 早々に キュービズムに至り 彼は その限界をもたらした原因を 次のように述べています

「印象派が勃興して以来 視覚的な作品は 網膜にとどまっている 印象派 フォービズム キュービズム 抽象など いつも網膜的な絵画だ

その物理的な関心 つまり 色彩の反応といったものが 脳髄の反応を二の次にしている」

​「デュシャン語録」訳編 瀧口修造 美術出版社 1982

 

デュシャンは 近代の芸術家たちが 視覚の現象を追うことに終始し 時代の認識を進化させる 思索に ほとんど関心を示さなかったことを あまりに「網膜的」だと批判し 思索の重視を主張します

「今世紀全体が 網膜的なものと なってしまっている」というデュシャンの批判を 「今世紀全体が 記号的なものと なってしまっている」と読みかえれば そのまま 現在の私たちの 置かれた状況を指すことになります

​さて 思索の芸術家 デュシャンの実制作と思索の関係をみると それは 他の多くの画家たちと 逆転しています

大半の画家たちは 制作の手法を確立すると その方法をくりかえし 多くのヴァリエーションを生みだそうとします 彼らが 実制作の持続を 第一の目標にするのに対し デュシャンは 思索を持続することをもっとも重要なものとします

デュシャンの実制作と思索の関係は ちょうど 科学者たちの 思索と実験のそれに似ています

彼は 思索が 制作によって 現実のかたちを結ぶと もはや 同じ手法の制作をくりかえそうとはしません

彼にとっては すで結果のでた実験をくりかえすことに 意味はなかったのです

デュシャンが思索を実制作の上位に置くのは 彼の関心が 時代の知の進展 にあるからです

<げんだいという時代にあって 私たちの知は どこまで 世界をとらえているか?>

<今 私たちは 有史以来の 膨大な知の広がりのうちの どこに位置しているのか?>  

デュシャンにとって 芸術の意義は その表現が いかに知の水準を押しあげる営みとなり得ているかにのみ あります

彼の 長い思索のあとを語るかのように ぽつりぽつりと置かれる 数少ない 実験的作品は その後の アメリカ現代芸術の展開のために 道標をおくかのようになされていきます

「とるに足りないやり方」で科学・技術をけなす

二十世紀に入り 近代の世界観は すでに 科学・技術の領域で その根拠をつきくずされ より高次元の 新たな時空のありかたが示されています

規制の表現領域の検証 を終えたデュシャンは それらを転倒し 相対化する より高次な 芸術表現の領域をつくりだすことをめざします

「すべての絵画は 印象派以来 スーラも含めて 反科学的なものになっています それで 私は 科学の正確で厳密な面を導入することに興味を持ちました そんなことは あまりやられていなかったし 少なくとも たいして話題になっていませんでした 私がそれを下のは 科学に対する 愛からではありません 反対に むしろ 科学を おだやかで 軽い 取るにたりないやり方で けなすためです ・・・」

​「デュシャンの世界」M・デュシャン P・カバンヌ 岩佐鉄男+小林康夫 訳 朝日出版 1978

「あらゆるものを疑う」デュシャンは 芸術の領域から 以前には かんがえられたこともなかった あらたな思想 としての表現 を生み出そうとします

彼は 科学・技術にもつかず また かつての芸術の見方にもたたない あらたな<

位相 に芸術表現を成立させることをかんがえます

デュシャンは アインシュタインらが 押しあげる の見方にも従属せず むしろ「おだやかで 軽い 取るにたりないやり方で」科学をけなすのだ と言います

芸術家デュシャンのかんがえだした「おだやかで 軽い ・・・」 とは 科学・技術の領域の相対性理論を <喩>として 位相の異なる芸術表現の領域に 転位させ はたらかせることです

<喩>・相対性理論が ひきだされるのは 観念上の場 即ち デュシャンが表現を求めて苦闘をかさねる 私たちの心 精神の世界です

デュシャンのもくろみとは <喩>・相対性理論を 日常の超微細な変容の記述 に登用し 観念の情景を描く あらたな <絵画>の領域をつくることです

そして さらには その<絵画>自体を 私たちの心 精神の変容 を指す <隠喩> とすることです

科学・技術は 事物の世界では その威力を遺憾なく発揮しますが <喩>・相対性理論は もともと 計測不能な 観念の領域に たちむかわされ その限界をあからさまにします

デュシャンの<喩>法は 科学・技術を「おだやかで 軽い 取るにたりないやり方で けなす」ことでもあるというわけです

さて 今や 芸術家デュシャンに託された仕事とは 科学・技術が <喩>として 辛うじて指し示す 超微細な変容をとらえることです

<観念のレベルにある変容のメカニズムを いかにとらえるか?>

デュシャンが描こうとするのは ある時空と 異なる時空との衝突や 時空と時空が干渉して変容する 観念的情景です

近代の限界域にある キュービズムが そのヒントを提供しています

彼は キュービズムの 空間を 時間単位に分節し 画面上にかさねる手法 を運動につれて変容する 時空と事物 を表現する方法 に変換することを試みます

「迅速な裸体の群れに囲まれた王と王妃」1912は デュシャンが好んだ チェスの駒の動き に ヒントを得ています

「迅速な裸体の群れに囲まれた王と王妃」1912

ここでは チェス・ゲームが 変容する時空の<喩>です 

それぞれの駒は 独自の運動の法則を持っていますそれらの動きは 互いを横切り 干渉し 運動の進行によって ゲームの局面を一変させる複雑な動きをつくりだします

より美的な運動がゲームを勝利にみちびきます

​チェス・ゲームの駒の運動は 近代と現代の 時空の干渉 変容の <隠喩>としてイメージされています

「階段をおりる裸体No.2」1912

「階段をおりる裸体No.2」は 当時 デュシャンが試みた 時空の変容をあらわす絵画のうちでも もっとも物議をかもした作品です 

タイトルからすれば 階段を降りる人物が描かれているはずです しかし そこには 人体は不在で 当時の観客と同じく 私たちをとまどわせます

                                          「階段を降りる裸体No.2」1912

当時の 未来派も 運動する人体や事物を描きますが そこに描かれるのは 規則正しく変化していく現実の形の集まりです

未来派のそれは 近代の均質な時空性を基盤にすえた 漫画的な運動の表現です

​   

                                                   「動く鎖」Giacomo Balla 1912

一方 デュシャンの主題は 運動によって変容する時空です

そこに描かれるのは 人体の運動がひきおこす 超微細な時空の変容の<喩>的光景です

最近 コンピューター・グラフィックスで私たちがよく見かけるように 基軸を想定して 人体の運動をかんがえると その運動は 線の移動としてあらわされます

運動を 連続する微小な時間ごとに区切ると 空間をよぎる 人体の基軸は 規則的に連続する面の集まりを生みだします

​ところが 運動によって 時空と物体が超微細に変容する とかんがえると 面の集まりは 未来派が描く未来派が描くような連続的に規則正しく変化するものとはならずデュシャンが描くような 不連続なものになるはずです

デュシャンは この作品を 二人の兄とともに パリアンデパンダン展に出品しようとします

しかし キュービスト理論家のグレーズやメッツァンジェに 反 キュービズム的だ と非難され作品を撤去させられます

彼らにとっては キュービズムの理論内での表現 が進歩的表現の条件です 確かに キュービズムの理論からみれば 運動と時空の変容 を主題とするデュシャンの表現は 明らかな逸脱 ではあります

<ならば 一体彼の芸術表現を退ける キュービズムの前衛性 とは何なのか?>

<また 個々の前衛性を自由に発表する場であるはずのアンデパンダン展とはなになのか?>

デュシャンは この事件を契機 に徒党を組む活動 に見切りをつけ 「たった一人の運動」として 表現活動を展開すること を固く心に決めます

アーモリー・ショーで大当たり

​アメリカで初の大規模な近代美術の展覧会が 一九一三年 ニューヨークの元兵器庫で開かれたアーモリー・ショーです

          アーモリー・ショーが開かれた元兵器庫

 

スティーグリッツによる スタジオ291 での啓蒙的な活動はあるものの  一般のアメリカ人が 広く近代の芸術に接することとなったのは このアーモリー・ショーが最初です

パリでは拒否された デュシャンの「階段をおりる裸体No.2」は この展覧会に出品されますその思わせぶりなタイトルと 肝心の裸婦が見あたらない表現 は物見高いアメリカ人の関心をおおいにかきたます

この作品が 思わぬ評判を呼び フランスでは 異端の前衛でしかないデュシャンは「ナポレオンとサラ・ベルナールに次いで」ニューヨークでもっとも間を知られたフランス人 となります

この作品のアーモリー・ショーへの出品で 彼は その後のアメリカでの活動の機会を得ます

疾走するスポーツ・カー

「処女から花嫁への移行」「花嫁」それらは後に通称「大ガラス」と呼ばれる作品にまとめられます

その着想は ピカビア アポリネールらと ミュンヘンへ自動車旅行した際に 得たものだといわれています

​                                   ピード狂の ピカビア

スピード狂の ピカビアが 運転するスポーツ・カーの猛烈なスピードは 加速する物質が その時空を変容させる という相対性理論のイメージを喚起するには充分な体感速度です

車の猛烈なスピードを体験したデュシャンはエンジンのメカニズムを現代の時空の変容を象徴するもうひとつの<喩>としてとりあげること を思いつきます

エンジンは 燃料の爆発を 車軸の回転運動という まったく違う次元に変換する装置です

デュシャンは 爆発と回転運動 という位相を異にした運動を統合する エンジンのメカニズムを 永遠に理解し合うことのない 男女の欲望メカニズム の隠喩とします  

                 「彼女の独身者たちに裸にされた花嫁 さえも」1915-1923

​​​​​​一九一五年 第一次世界大戦を機に渡米にふみきったデュシャンは「大ガラス」の制作に八年の歳月を費やします

この作品は「彼女の独身者たちに裸にされた花嫁 さえも」という意味深長な長いタイトルがつけられます

デュシャンは 超高速な次元での時空の変容を 日常世界の変容 さらには 私たちの 精神の変容 をさす<喩>として 転位させ さまざまな思索と実験 をかさねています

「大ガラス」は それらの試みの集大成です

じっけんから得られた観念的な図形たちは上下二対のガラス版板の間に制作されぴったりと密封されます

上の部分が 花嫁 下が 独身者たち と名づけられます

二対の観念的な図形群は 位相的にとらえた 男性と女性の 思考や感覚 営みの違いをあらわし 二つの時空が 接近しながらも 決して一致することのない関係であること を指しています

「大ガラス」に集められた さまざまな デュシャンの思索と実験は 現代芸術の 先駆的な試みの集大成でもあります

それらをおもいつくままにあげてみます

まずデュシャンは彼の<隠喩>的な表現空間を密封するためにガラス板を使うことをおもいつきます

「『ガラス』はその透明性によって私を救い出してくれました」

とデュシャンが語るように絵画の限界を超え彼の実験的は制作を可能にしたのガラスでした

ガラスはコンクリートと並んで現代都市を象徴する素材です

かつてならキャンバス上に描かれたタブローは現代都市を象徴する素材の間に密封され宙づりにされます

また ガラス板は 見る人が図像に触れることを許さず 図像が 異なる位相にあること を示すのに好都合な素材です

ぴったり合わせられたガラス板は 絵具を酸化させずに守る 絶好の支持体 でもあります

ところで八年間におよぶ「大ガラス」の制作中彼が日課として欠かさなかったのが水泳の訓練だったといわれています

これは余計な想像ですが 彼が 透明なガラス板のあいだに 観念の形を閉じ込める作業 を続けるには 透明な 水中を浮遊する感覚 に浸ること が必要だったのかもしれません

偶然を異なる時空の<喩>として登用する

デュシャンは偶然にあらたな表の広がりを求めます

偶然は 科学・技術の必然 や芸術の<美> の範囲の外にあり さらなる芸術表現の可能性 を秘めています

二〇世紀のはじめ 科学・技術の分野から 近代の見方を超えた 世界のあり方 を示したのが相対性理論です

それによると 時空は 運動ごとに 個別に存在しています

偶然こそが 私たちの日常の世界(それも偶然の結果かもしれません)と 異なる時空の世界 を予期せず接合する要素 としてあるとかんがえられます

デュシャンは偶然を一つの<喩>として登用することによって私たちの知る日常の世界投影される不可知の時空世界を構成してみせます

偶然を不可知の時空世界へな突破口とする彼の試みのひとつが「三つの基準停止装置」です

             「三つの基準停止装置」1913-14

デュシャンは一メートルの長さの三本の糸をそれぞれの高さから落とし偶然にできたいとの曲線を そのまま ワニスで固定します

その曲線 をもとに 彼は 三つの定規をつくります

すべての日常空間の基準 とされるメートル原器 に対して その曲線は 偶然がとらえた 異なる時空の原器 というわけです

「三つの基準停止装置」は 大ガラスの「九つの雄の鋳型」の位置 を決定する 九本の毛細血管 として使われます

​              九本の毛細血管                九つの雄の鋳型

 

また デュシャンは 一メートル四方の網レースのカーテン三枚を冷暖房装置の上につり 揺れて変化する偶然の形を写真に撮り花嫁上部の「換気弁 網目」のかたちとします

 

​                     「換気弁 網目」

下部の独身者の「七つの濾過器」の彩色に使われていたのは制作中たまるにまかせていた埃です

彼は時の経過が偶然につくりだした彩色をそのままニスで固めます

埃の積もった「大ガラス」はマン・レイがとった見事な写真に残されています

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                「大ガラス」に積もった埃

                 彼はシャッターを開放にセットしデュシャンと夕食に出かけた

偶然の事故取り込みとりこむ

偶然を<喩>として登用するデュシャンの行為のひとつに偶然見つけた既製品をそのまま芸術表現とするレディ・メイドがあげられます

はデュシャンが事物の元々の機能からもまた美的な見方からも外れたところに<喩>的意味を見いだしそれらの事物を異なる脈絡に置くことによって成り立たせる表現です

デュシャンはルアンの菓子店のショーウィンドーで偶然見かけたチョコレート粉砕器をレディ・メイドとしてとりあげます​

彼は 何の変哲もない お菓子の製造器に 独身者の欲望を発生させる という <喩>な意味を与え 独身者の機械「チョコレート粉砕器」とします

                                 「チョコレート粉砕器」​

​デュシャンがこの観念的な表現の集大成にとりこんだ最大の偶然は一九三一年輸送の際「大ガラス」自身が粉々に割れてしまった事故ですその後五年かけて彼は丹念に破片を寄せ集めさらに二枚ずつのガラス板にはさみこんで「大ガラス」を修復します

​「ガラスはひびが入ったお陰で何倍も良い作品になった」と彼は後に語っています

遺作」の出現

同じ表現をくりかえさない芸術家デュシャンにとって 芸術表現とは 常にさらなる領域を提示することでなければなりません

彼は 自らが生みだした かつてなかった表現 たとえばレディ・メイドでさえ くりかえせば趣味に落ちてしまう と厳しく自己規制しています

それは 裏をかえせば あらたな表現の広がりを示せなくなった芸術家はその営むを終える以外にないということになります

デュシャンは「大ガラス」の制作を中断するように終えて以来 すでに芸術を放棄したとみなされていました

ところが 「遺作」の存在は そのような定説をひっくりかえしてしまいます

彼は 生前は 芸術を放棄した風評にあえて甘んじ 死後に 「遺作」を公表するべく 周到に計画していました

デュシャンは 自らの人生の時間をも 作品に組み入れた というべきかもしれまさん

「遺作」はデュシャン死後 金て彼が計画した通り フィラデルフィア美術館に設置されました

「遺作」には またしても

「(1)落ちる水 (2)照明用ガスが与えられたとせよ 」という長いタイトルがついています

分厚い木の扉 それは スペインの田舎で 彼が見つけ出したれの扉です

観客はその扉に開けられた穴から彼の設置した情景をのぞき見ます

          ​

​         「遺作」の分厚い木の扉 pintest.com

私たちが目にするのは かつて観客をとまどわせた観念的な形態ではなく リアルにつくられ

しどけなく横たわる裸婦の姿です裸婦の体は石膏でつくられ そのうえに豚の皮がていねいにはられていて ちょっとみると 本物の人体のような 生々しさを漂わせています

今度は あまりに具体的で しかもあからさまな情景に 私たちは 大いにとまどうことになります

                          

 

                          「遺作」を覗き見た光景 jashitour.com

​ 「遺作」は まさに 彼が展開してきたスタイル を「ひっくり返した」表現です

​デュシャンのアメリカでのデビュー作では タイトルが喚起する 具体的なイメージ を作品の抽象的な形態が 押しとどめる という構造をとっています

抽象的な作品の形態と 具体的で詩的な イメージを喚起させるタイトル との組み合わせ という デュシャンの表現スタイルは 「大ガラス」に集大成されます

ところが 「遺作」では まったく逆にタイトルが 抽象的な命題で 作品は具体的な形態です

観客は 一転して 抽象的な観念のつらなりを 具体像の中に探すことになります

かんがえてみれば この組み合わせは 古典芸術のそれと同じです

​観客は かつての古典画を目にするのと同じように 視点が一点に固定された 具体的な情景 を前にし 抽象的な題名の意味するところに 想いをはせることになります

もし お望みなら 歴史を連続させてお目にかけようか?

デュシャンは 他の芸術とは異なる現代の芸術表現の位相を生みだした

しかし 彼の芸術表現は 一般の私たちには 言わば 謎の観念群 としてあります

それらは 特に 芸術の歴史を 同じ<美>の追究として 連続したものととらえる識者たち にとっては 難解な解釈を強いる やっかいなしろものです

とはいえ 彼の なぞの観念群は さまざまな解釈にとりまかれながら 時の経過の中に 埋もれてゆきつつあります

そこで デュシャンは 歴史の連続を求める識者たちに甘く誘いかけます

<もし お望みなら 歴史を連続させてお目にかけようか?>

デュシャンは 自らの観念群を ふたたび活性化する方法 をおもいつきます

しかも その方法をとれば みかけ上 表現の歴史が 連続してみえること になるはずです

<観念のうちにある 運動性が失われれば その表現は終わりだ 概念の連続性が弱まった芸術表現は その衰弱につれて 歴史に位置づけられていくともいえる (それが多くの のぞむところでもあるのだが)

歴史に位置づけられていくとともに 遅かれ早かれ それの持つ 観念の運動性の 息の音は 止められてしまうのだ

それが 思想や芸術表現の死の姿だ

その死は 自らの死のように 自然に委ねるべきものではない

むしろ 作家個人の死を 転換点として 芸術表現のさらなる生 をこそかんがえるべきなのだ>

彼のかんがえ出した方法は 大胆にも かつての 古典芸術の位相そのもの を彼の芸術表現に とりこむことです

かつて 彼は 芸術でない日常の事物を レディ・メイドとしてとりこみ 彼の芸術表現である 観念を 作動させました

今度は さらに 芸術表現の歴史全体 をとりこみ 彼の観念群の運動性を 永続的なもの にしようというのです

かくして デュシャンの 謎の観念群は 彼自身の死 を転換点として 解釈可能な 古典の具体的な表現の位相 をとって展開されます

私たちは 古典絵画を そのまま具体物で表したような光景 をのぞき見ることになります

女体の掲げるランプの フィラメントの揺らめき 電動の落ちる水 これらの具体物は 古典的な永遠の生を 象徴する仕掛けです

すべてが 具体物として表された「遺作」は 逆に その古典的世界のまがまがしさ を際だたせています

照明装置

​に女体の掲げる「照明用ガス」は 電動の「落ちる水」と同じく 機械仕掛けで 永遠の運動 を続けます

題名にも登場する この象徴的表現は いわば「遺作」のうちの小道具 にすぎず 多くの批評家がするように 古典的な解釈に拠って意味をさがしても 無駄に終わります

この装置で 大きな役割をになっているのは 情景全体を照らす照明です

死の世界は 明るい人口の光に照らされ 永遠につづく 先の二つの機械仕掛けの 生の運動を照らしだしています

「遺作」に使われる天井からの照明は ちょうど古典世界の 天空からの絶対的な視点 をあらわしています

デュシャンにとって 偽の絶対性 を帯びた この真上からの人口の光は 女体に向かって煌々と浴びせられています

「遺作」の発表から十五年年後に公表された *組み立てマニュアルには

「水の落下ー女陰の上に垂直に一五〇ワットのスポットライトをぴったり当てる」

ように指示されています

 

 

            *「解体可能の近似値」と題されたマニュアルはデュシャンの指示に従い

                 十五年間 秘された後 生誕百年を期に公開された マニュアルにもとづいて

                                              裸女を設置するデュシャン夫人 1946年から1966年まで実施された

​               「遺作」の内側から見た写真 「解体可能の近似値」より

       

古典の表現では 神の姿として描かれた裸体には エロスが封じ込められています

人々は 神の姿を見る という口実の下に ひそかに 裸体を眺める楽しみ を味わいました

デュシャンの「遺作」では 生の 形而上学的な意味 に想いをはせるべき 鑑賞の建前 とは裏腹に 私たちの視線は あられもない女体の一部 にくぎづけにされます

デュシャンは 私たちが 「遺作」を見るときに味わう後ろめたさ をつきつけ 問いかけます

<古典芸術の本質は エロスを満足させること ではなかったか?>

悪意の接続装置

デュシャンの「遺作」は 彼の 最後の営みとして 私たちにささやかかなサービス精神 を発揮し 難解さのうちに 閉じてしまおうとする彼の芸術表現の一端 を私たちにかいま見せてくれたのだ といえなくもありません

しかしながら 「遺作」は デュシャンが 古典近代とは異なる位相に開いた 現代芸術の領域 にもとの古典の領域 をとりこみ 地続きに 接続 してしまう 悪意の接続装置 でもあります

その 接続 は 相変らず 芸術全域を 同じ一つの<美>の追究だとして けいれん的努力を持って語る 批評家たちを 大いに満足させます

また 彼らを筆頭にした 常識的な芸術感 の持ち主たちを おおいに安堵させます

と同時に 彼らが信奉する <美>の一員に まんまとなりすました <毒>は

彼らの信奉する<美>自体を 破綻の淵 にみちびく仕掛け としてはたらきはじめます

古典の表現スタイルをとって 歴史の連続性のうちに置かれた「遺作」は

古典の 固定化された意味を 揺り動かし 混乱させ 破綻に向かわせます

それは 彼の 個の概念として開かれた 芸術表現の不連続性を 歴史の連続性のなかから 

浮かび上がらせる装置 とも なっています

​デュシャンは 彼の最後の作品において 自身が 様々に展開した前衛的領域を

悪意を持って接続し

人々が あいかわらず信奉し続ける<美> を道づれに 追いたてながら

自ら その幕を引いたのです

知の表現を ほほえまし くウイットに富んだもの として終わらせれば

概念の運動性は 消え失せてしまいます

現代芸術の作家としての成否を決する要素とは何か?
デュシャンの「遺作」は それが かつての<美>に対する批判の深さと

<美>の信奉者に対する 悪意の量 であることを まさに身をもって示しています

 

異邦人デュシャンその思索

実存主義のサルトルと並び「不条理」をキーワードとして 現代の<疎外>を追求した作家にカミユがいます

                        Albert Camus 1913-1960

​                        1942年「異邦人」「シーシュポスの神話」を委発表 五一年 サルトルと「反抗的人間」を

                                         めぐり論争

                              1951年 ノーベル文学賞を受ける

                              1960年 交通事故で死亡

カミユの次の言葉は はからずも デュシャンの思索の表現のありよう を言い当てています

​「…実際 だれについて 何について『ぼくはこれなら知っている!』

  と いうことができるのだろう 

  ぼくの 内なるこの心 ぼくは それを感じることができるし

  たしかに存在していると ぼくは判断する

  この世界

  ぼくは それに触れることができるし この場合も また これが確かに存在している 

  と判断する

  だが そこで 僕の知の一切は停止する

  その余は こしらえられたものだ

  なぜなら みずから確信している

  この自我を ぼくが捉えようと試みると

  この自我を限定し 要約しようと試みると

  それは もはや指の間をこぼれおちてゆく水 でしかない

  (中略)

  自分が確かに存在している ということについての 確実さと

  この確信に ぼくが 与えようと試みる内容

  その間の溝 は

  いつまでたっても 決して埋められることはないだろう

  永久に ぼくは ぼく自身にとって 異邦人 であるろう」

 「シーシュポスの神話」1942

カミユが 解消することなない<異和> として語る 世界と世界のありようは 期せずして

思索の表現 をくりひろげるデュシャンの 営の場みと 交差しています

 <私が 感じ かんがえる世界 を明白な言葉や はっきりした現実の形 にしようとすると

  たちまち その確かさは 手もとから逃れさってしまう

  それは 世界と自己の 確かさが 私が 感じ かんがえる という営みの

  現在性 概念の運動性 の中にのみ 存在するからだ

  私が考えてきた芸術表現は その運動性 を記述することだ>

​ <これらの芸術表現といえども いずれ死を迎えることは 避けられない>

  < しかし これらの芸術表現は 私という個の運動性 をとどめることによって

   私個人の生の時間 を超え 緩やかにまわりつづける回転運動 のような軌跡を

   えがくことになるだろう

   その運動の軌跡は 無数の微小な粒子 を放出し続ける>

   <それらが 静まり返る 思索の湖面 に落下し 波紋の連鎖 を生むことをひそかに想おう>

解消することのない<異和> 世界と自己のありよう を知の運動 としてとらえようとする

デュシャンの<疎外>の認識 は

彼を この世界の 永久の異邦人の一人として

果てしない連鎖 をめざす 思索の歩み につかせるのです

デュシャンの姿の背後には 彼の忍び笑いが 穏やかに響いています

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ブリストル戦闘機用プロペラ 1916より生産

「20世紀の歴史」3「経済」「上」 シドニー・ポラード 竹内 監修 森田 正英 監訳 平凡社1992

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「階段を降りる裸体No.2」146×89㎝1912

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Albert Einstein
1879-1955

アインシュタインの相対性理論は 超高速な運動において 時空が変容することを示した 時間は 一定して流れ 空間は一様に広がる とする 近代の時空は これによって くずされる
この理論の登場は 近代の世界観自体を
揺り動かし 哲学 思想 芸術など すべての領域 の再構築 をうながすことになる

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