「理知と混沌のあいだ」
フランク・ステラ
若干二十二歳のステラは 「人は 見えるものしか見ないはずだ」 として 絵画からイメージを排除し 最低限の要素で成り立つ ミニマルな絵画 をかんがえる
一九五八年 彼が始めたのが ブラック・シリーズである
そこでは 絵画は 黒のエナメル塗料で ただストライプを描くだけ のものにしぼりこまれている
ストライプは ペンキ塗りのアルバイトで愛用した 二・五インチ(四・六センチ)の 塗料用刷毛の幅 そのままに塗られ わずかに塗り残された 画面の白さが それぞれのストライプを分けている
Frank Stella 1936-2024
1936 マサチューセッツ州 ボストン郊外 モールデン 生まれ
1954 18歳 ニュージャージー州 プリンストン大 美術史を学ぶ
1958 22歳 ジャスパー・ジョーンズの個展を見 「旗」の縞に触発され ブラック・シリーズの制作始める
1959 23歳 近代美術館「16人のアメリカ人」展に出品し酷評される
1960 24歳 ブラック・シリーズ23点完成
シェイプト・カンバスによるアルミニューム・シリーズ12点制作
1975 39歳 理知的 平面的な作品を止め 流動的立体的作品に移行
1976 製図用定規を使った エキゾティック・バード・シリーズ
1980 44歳 サーキット・シリーズ
1982 破片シリーズ
1992 56歳 タバコの煙を題材にした彫刻シリーズ
1993 「八幡ワークス 」制作
2024 88歳 死去
トムリンソン・コート・パーク, 1959, カンバスにエナメル,
213.4×176.9cm, 川村記念美術館,佐倉
ブラック・シリーズ
一九五〇年代も終わろうとする頃 二十二才のステラは ジャッドに並んで ミニマル・アートの作家として出発します
ジャッドが 立体の表現 を取ったのに対して ステラは 平面から始めます
<絵画>を最低限の要素に切りつめることが彼のめざす表現です
一九五八年 <《絵画》とは ストライプを描くことだ>とする公式を掲げたステラはブラック・シリーズの制作を始めます
そのミニマルな絵画とは 黒のエナメル塗料で ただストライプを描くだけのものでした
ストライプの幅は アルバイトで愛用した2・5インチ(6・4 cm)の塗装用の刷毛の幅そのままに 塗られます
わずかに塗り残された画面の白さが それぞれのストライプを分けています
「人は画面に見えるものしか見ないはずだ」
と言う彼の<彼が>には もはや ストライプのほかには 何のイメージも存在していません
その画面は 黒いストライプのパターンで埋め尽くされます
何ものも意味しない 単純な記号 ストライプは ステラの芸術をあらわすあらたな記号として 都市の記号空間におかれます
ステラは 十六カ月 ブラック・シリーズの制作を続け 二十三個のバリエーションを生み出しました
そしてそれがストライプのパターンを繰り返す限度でした
不評だったブラック・シリーズ
ステラのブラック・シリーズは不評でした
ストライプを描くことがなぜ<絵画>なのか?
何の変哲もない模様を描くことがなぜ現代芸術の表現と言えるのか?
<絵画>にイメージを求める観客は 黒いストライプだけの画面に あらたなイメージを生み出せない画家の才能のなさ あるいは怠慢をみたのでした
金属板や木片を床に敷きつめる インスタレーションで知られる カール・アンドレは 不評を読んだステラ
の表現を擁護して 次のように述べています
「ストライプ・ペインティングへの序
芸術は不必要なものを排除するフランク・ステラは縞を描くことを必然的 だと感じた
それ以外に 彼の絵には何もない フランク・ステラは 表現や感性には 興味を持たない
彼に興味のあるのは 絵画の必然性だ
象徴は 人々の手から手へとわたる 模造通貨だ
フランク・ステラの絵は 象徴的でない
彼の縞は カンヴァスの上を筆が通った通路である
これらの通路は ただ 絵画に行きつくだけだ」
Sixteen Americans' exhibition catalogue, Museum of Modern Art, New York, 1959.
「ロビンソンの鳥は死んだよ 」東野芳明 美術手帳1983. 1
都市に住む私たちは 大量のイメージ記号の囲まれています
ここで アンドレ氏が 「象徴」と呼んでいるのは 私たちのいう 都市のイメージ記号です
マス・メディアが生む大量のイメージ記号のなかにあって <絵画>はもはや あらたなイメージを生む力を失っています
「ステラの絵は象徴的でない 」とは 彼の絵画が イメージを排した 芸術表現であることを指しています
ここには ステラがイメージを 人々の感性を刺激し 芸術表現を すぐさま記号に落とし込んでまう夾雑物 とみなしてそぎ落し <ストライプを描くこと>だけを 彼の絵画の必然 として取り出したことが述べられています
Jasper Johns,Flug,1954-55
ステラがストライプの制作を始めたのは 一九五八年 ジャスパー・ジョーンズが「旗」をひっさげ レオ・カステリ画廊で さっそうとデビューを飾った年です
ステラの語るところによれば 彼は ジョーンズの個展で見た「旗」に衝撃を受け ストライプの制作を始めます
ジョーンズから受けた衝撃をステラは次のように述べています
「もっとも衝撃的だったのは ジョーンズが モチーフに固執する様子だった 縞というアイデア リズムと間隔・・・繰り返しと言う考え ぼくは繰り返しについて 考えはじめた」
Frank Stella, William Rubin ,Museum of Modern Art, New York.
ロビンソンの鳥は死んだよ 東野芳明 美術手帳 1983.1
この言でも明らかなように ステラは もはや ジョーンズが定めた主題 「旗」の記号性には 全く関心を示してはいません
彼が「旗」に投げかける視線は 近視眼的になり 事物への距離をよりつめています
ステラは「旗」の至近距離から ただ画面を埋める縞と 蜜蝋を用い 物質感を強調したジョーンズの縞 の埋め方のみを見ています
記号の強度をうわまわる事物の強度
五〇年代 ポロックは 自身が至上のものと考える 抽象表現主義の絵画が 芸術の一記号として 都市の記号のシステムに組み入れられること に憤慨し 落胆しましたが 二世代後のステラにとっては 芸術表現が都市の記号の一つとみなされることは もはや自明でした
ステラは ジョーンズの「旗」から 事物の構造自体を 記号のシステムの内側から 問うことになる 芸術表現の方法を引き出します
ジョーンズは「旗」の記号性をきわだたせるために 「芸術」の方法で こってりと蜜蝋や絵具を画面に塗り込みました
それは彼が 一旦 都市の記号のシステムの外側に立ち 「芸術」を崇高なもの と考える私たち(彼自身を含めて)の思い入れ を浮き上がらせるための「仕掛け」として の塗り込みでした
ところが すでに 記号のシステムの内側に立つステラには ジョーンズの「仕掛け」は 単なるモティーフへの固執としか映りません
ジョーンズの こってりとした蜜蝋や絵具の塗り込みは ステラにとっては 記号を支える物質の側面 を強調する方法です
彼が ジョーンズの「旗」から受け取った 新たな芸術表現の方法は 絵画の最小限の記号として ストライプを取り出し 最大限に ストライプの 事物の側面を強調することでした
ステラは 最小限の記号 ストライプを最大限に強調するために 塗装用の黒のエナメル塗料を登用します ストライプの幅は 2.5インチ(6.4cm )の塗装用の刷毛の幅 そのままです
物質面を最大限に強調するために ストライプを 可能な限り簡素にする方法がとられました
ステラは
刷毛の幅に基づいて制作するステラ「美術手帳」1983.1 より
繰り返すことを選んだステラ
ブラック・シリーズを終えたステラは 大きな岐路に立っていました
彼は すでに刷毛の幅のストライプ のアイデアを限度いっぱいに繰り返しました
ステラが ジョーンズから啓示として受けたのは モティーフの執拗な繰り返しです しかし 当然のことに その執拗さにも限度があり 繰り返す必然 が尽きれば ストライプは意味を失います
先達のデュシャンなら 一つのアイデアは 一 つの作品で沢山だ と言うところです
彼によれば 表現は 一度実現されてしまえば それで終わりです
芸術家は 常にさらなる表現のアイデア を求めるべきなのです デュシャンの見方からは ステラの絵画は 最初の一作 少なくともブラック・シリーズ で終わっています
しかし 一般に 作家は 自らの発見した アイデアや かたちを トレード・マークにして 繰り返し その制作を続けます
「・・・確かに「ブラック・ペインティング」から 「アルミニウム・ペインティング」への移行は 大きな変化に違いありませんが しかし それは単に 素材の変化に過ぎないのです」
Frank Stella, Contemporary Great Masters 18 講談社1993.
ステラの言葉に反して その移行は 大きな転換を示しています
彼は 芸術表現を ミニマムにつきつめる作家から それを 繰り返す作家に転じたのです
それは 彼のミニマル・アートが 芸術表現としての意義を失い 繰り返しの 芸術一般に 移行したことを意味しています
アルミニュウムの発見
ストライプを描く表現を 繰り返すことを 取ったステラは 一九六〇年から アルミニウム・シリーズを始めます
彼は 制作を持続させるために ストライプのアイデア をより強調する アルミニウム・ペイント を導入するのです
今や ストライプは ステラのトレード・マークです
その後の 彼の仕事は 芸術の記号と定めたストライプを いかに強調していくかにありました
「カラー・バンズ」1961
「・・・クリアな色面を求めようとするとき 普通の絵具ならば 絵具は カンヴァス に吸い込まれて クールな輝きを失ってしまうではありませんか そんなとき アルミニウムを混ぜた金属塗料 を使用してみたら 従来の絵具とは まったく違う効果が出たのです」
Frank Stella, Contemporary Great Masters 18 講談社1993.
ここには 作家が 新たに 世界をとらえる概念を探る姿はなく 事物のもつ効果 の新しさのみが 求められています
以後 ステラは 効果の新しさ を求めて制作を続けます
「クォスランバ」1964,197.5×454.7cm 東京現代美術館
繰り返しのために さらに新たな効果 を求めるストライプは 次第に その姿を変えていきます
今や ストライプは 都市の記号と同じように 変化と増殖を求めるのです
アルミの金属塗料によって 際立たされたストライプは 次第にカンヴァスの矩形に属さない角度を 持った形を取るようになります
そこで 彼は ストライプをより際立たせるため ストライプ以外のカンヴァスの余白 を切り取ります
図の形と 同じ形をしたカンヴァスは シェイプト・キャンバス と呼ばれました
絵画を<ストライプを描くこと>に還元し その記号を ひたすら強調していくステラは 描いたストライプ以外を不要として 文字通り 切り捨てます
変容するストライプ
ストライプの表現を強調すること を選んだステラは「視覚的な印象を与えることが アートの根本的な存在理由なんだ」と発言するようになります
精神の形象文字,米倉守, Frank Stella , Contemporary Great Masters 18講談社1993.
その発言は 彼の営為が 絵画を極小の要素にまで還元する という概念作業から 視覚効果を追求する 感覚の作業に 後退していったことを物語っています
ストライプに さらに新たな視覚的効果 を求めるステラは ストライプ絵画 を成立させるために 切り捨てたはずの 絵画の要素 を次第に復活させていきます
ストライプには 先ず 色彩が復活し 続いて 円弧などの幾何曲線が取り入れられます
ステラのストライプは 導入される要素を 注意深く機械的要素に限定されながらも 次第に 豊穣さ を獲得していきます
ところが その機械的な豊穣さは 彼の <ストライプを描く> という最低限に絞り込まれた 絵画の方式を 圧迫し始めます
<ストライプを描く>彼の絵画の方式は 次第に弱体化し 色彩や形態の 機械的な豊穣さは 辛うじて 画面につなぎ止め 累積されるだけの要素に 変容していきます
絵画の終焉からの出発
絵画の表現を ミニマルにそぎ落とすこと自体 絵画の終わり をなぞること意味しています
かつて ステラが「ブラック・シリーズ」を つきつめた先には 絵画の終焉が待ちうけていたはずでした
しかし 絵画の終焉を目前にした彼は ストライプのシリーズ化をはかり 絵画の終着劇 を再現なく繰り返すことに方向を変え 絵画の終焉を回避しました
別の言い方をすれば ステラは 絵画の概念をつきつめることから 絵画の効果のバリエーション を求めることに移行して制作を続けました
ストライプの効果 のバリエーションのために ステラは 冷ややかな手つきで かつて切り捨てた絵画の要素 色彩と形態 を投入していきました
このとき 「絵具や形態の声に従う」と言う彼の言 を取れば 作品のなかに 彼は不在です
彼は 自らの<ストライプを描く> という彼の表現の 基本概念を とり除き 制作の他の要素すべてを 都市の無意識 に委ねます
制作するのは 都市の無意識と化した 機械的な彼の分身です
本当の彼は 制作の外側に立ち 都市の無意識に操られた 事物の豊穣さが どのように 彼のストライプ絵画を 浸食するかを観察しています
事物の豊饒さに委ねられた表現
絵画の要素を 極小にまで絞り込んで成立したはずの ステラの絵画は 七〇年代の中頃から 急激な変化をみせ 現代都市の増殖をなぞるように 加速度的に 事物の豊穣さを受け入れていきます
その表現は 今や 彼の極小のアイデア のための絵画なのか 事物の豊穣さ自体の表現なのか 区別がつかない地平にまで移行します
ステラはその事態に対して 次のようにコメントしています
「絵具にしても 形態にしても それ自身が 作家にかかわりなく 己のアイディアや 提案を 主張し始めることがあり 私は その 声にただ従って来ただけ のことなのです」
Frank Stella, Contemporary Great Masters 18 講談社1993.
この見解は かつてポロックが 絵画との ギヴ・アンド・テイク を語ったことを思い起こさせます
ポロックが 自らの無意識に 絵画を委ねたように ステラも同様に 都市の無意識の 混沌とした事物の豊穣さに 制作の主体を委ねます
都市の無意識に委ねられた個の記号
七〇年代後半のステラの作品は 理知的 平面的な様相 を離れ 流動的 立体的な形態 に移行します
かつて ジョーンズは 都市の記号の強度を測るように 国旗を 個が表現する手つきと 事物(絵具や蝋)で 埋めました
それに対して ステラは 個の記号の強度を計るかのように ストライプを 現代都市の事物の 増殖の過程に さらします
弾みのついた 事物の増殖の過程は 彼の基本アイデアを はるかに超えて加速していくのです
ステラは 自らの制作について 外側の観察者 の場にいるかのように述べています
「絵具のひと刷きが いつしか 自然に成長していまや 金属の一片に進化したけれど しかし 自分としては なんら意識的な作為 を及ぼしたわけではない したがって カンヴァス上の 絵具のひと刷きと 金属の一片との間には 本質的な差もない それを 絵画とか彫刻とか 峻別することには意味がない」
1991 北九州市立美術館での講演 Frank Stella, Contemporary Great Masters 18 講談社1993.
製図用定規を 使ったエキゾティック・バード・シリーズ あたりから始まった ステラの 事物の増殖の表現は 八〇年代のサーキット・シリーズで 平面の幾何形態から離れ 立体に向かい さらには すべてが混然とした 有機的な混沌 に向かいます 思えば ステラの 絵画の基本アイデアは かつては 作品の上部にあって 作品のなかの 事物の主張 その増殖を禁欲的に制御していました
「ジャングリ・コゥワ」1978
ところが 今や 増殖を許した事物から 最小限に限定されるのは 彼の基本アイデアの方です
彼の絵画の基本アイデアは 増殖した事物のうちに埋没し それらを制御する役割を 放棄するに至っています
かつて <ストライプを描く>としてあった 彼の絵画の基本アイデアは <作家が事物に何らかの手を加える>というところにまで後退しています
ここに至って ステラは 絵画の基本アイデアを 都市の無意識に委ねています
八幡ワークス 1993
八幡ワークス 1993
一九九三年 ステラは 八幡の製鉄所で「八幡ワークス」を制作します
まず 螺旋状の切れ目を入れられた新品のステンレス板三枚が プレス機でねじ曲げられ 積み重ねられます
さらに さまざまなスクラップが加えられ 最後に 炉で溶かされた ステンレス三トンが「湯がけ」されます
ここでは 作家の表現の基本アイデアは 最小限に押さえられ あとの制作は 都市の科学・技術と 事物の可能性 に委ねられています
彼の作品を前にする私たちは 主を失った 都市の事物の混沌 を突きつけられるのです
都市の無意識 に制作を委ねるステラは 次のようにその経緯を述べています
北九州八幡美術館 湯がけされる作品
「・・・今 私が手掛けている作品は まったく即興によるもので モデルも存在しない と同時に 外側から もっと無頓着に 自由に 何事も取り入れ 作品に制限が加わらなくなっています もちろん 今でも 作風は変わり続けています 問題は それを 私がどのくらいコントロールできるのか コントロールしたいのか といったことだけなのです」
Frank Stella, Contemporary Great Masters 18 講談社1993.
かつてミニマル・アーティスト と呼ばれた この作家を突き動かすのは 都市の終末を見たい という願望に他なりません
かつては <ストライプを描くこと>だった 制作の基本アイデアを 今や 現代都市の無意識に委ねた ステラの言葉の背後には 都市の時間を加速させ 増殖する都市 を行き着くところにまで行かせてみたい という願望がうず巻いています
「リュネヴィル」1991ー4. 川村記念美術館 佐倉
都市の終末
かつて ステラは 絵画を<ストライプを描くこと> という最小限の表現につきつめました
しかし その最小の表現は 彼が それを繰り返すこと を選んだため 次第に変化増殖の道を歩みます
ストライプの変化増殖は 平面に止まらず ステンレス板 アルミ板 廃材などによる 混沌とした立体表現にまで変容を遂げました
ステラの表現が変容する経緯は もはや個人の力では 止めようもなくなった 現代都市の自己増殖の姿をそのまま映し出しています
視覚的な効果を求め 増殖を続ける 彼の立体表現は 最新の素材と技術 が投入されたにもかかわらず クラッシュした航空機 大破した宇宙船など 現代文明の残骸を思わせます
彼が 自身の基本アイデアをふり捨ててまでも 見たかったものは 現在の機械文明が行き着く果ての姿だったのでしょうか
自滅に向かうティンゲリーの壊れた機械
都市に住む私たちには 誰しも 都市の片隅に放置された 廃品 廃材や 壊れた機械に 目をうばわれ ある感慨を抱いた経験が 一度ならず あるはずです
都市の廃品や廃材の破綻した姿は そのまま 私たちの<疎外>の状況を映し出しているようにみえ それが私たちを惹きつけます
都市に住む誰もが通るこの道すじで 芸術表現を見いだした作家の一人にかつてのラウシェンバーグが 思い浮かびます
都市の記号空間からこぼれ落ちた事物に 私たちの<疎外>を重ねる表現を 「都市の破綻の表現」とでも呼べば この道すじを さらに果敢にたどり その頂点をきわめたのが スイスの作家 ティンゲリーです
彼は 奇妙な運動をくりひろげる廃材機械 「メタ・マティック」で注目を集めます
一九六〇年 ニューヨークに招かれたティンゲリーは 近代美術館の野外彫刻展示場に 巨大な自滅機械 「 ニューヨーク賛歌」を組みあげます
「 ニューヨーク賛歌」1960
「自動車のスクラップ 壊れた車輪 さびた鉄棒 ブリキ版 ドラム缶 つぶれた工場機械 大きな自動ピアノ ・・・ ニューヨークが吐き出した ありとあらゆるガラクタを 美しい廃機械を かれは九メートル半の高さに積み上げ 各々の部分を 電線や滑車の仕掛けでつなぎ かれなりの『歯車』を調整した 深夜 近代美術館の彫刻の庭(ロダンの『バルザック』からマティスの『レリーフ』まで 近代彫刻の逸品が並んだ あの ”不動”の彫刻の墓場だ!) にニューヨークの美術人士を招待したティンゲリーが スイッチを入れる と 工場機械は はじけ飛び 自動ピアノは ナットやボルトで叩かれて ジョン・ケージの作品のような 音を立てながら ころがり落ち 車輪も ドラム缶もブリキ板も 壮絶な音響と 火花を散らしながら とびちり 約三十分で この廃機械でできた ”サグラダ・ファミリア” は 見事になだれ落ち 自滅してしまった 急を聞いて駆け付けた消防夫が 火を消すのに 大わらわだったとか]
「現代美術 ポロック以降」東野芳明 1965 美術出版社
東野氏は このように華々しくダイナミックな「自滅」運動を賛美しています
しかし 実際の「自滅」は 「あらゆる予期しなかった偶発事と失敗」がかさなり あやうくたよりなげのもの だったということです
それはともかくとして ティンゲリーは うず高い廃材の山「 ニューヨーク賛歌」を自ら破壊することによって 「都市の破綻の表現」の頂点を示すと同時に その後続を断ちました
ところが この領域は 都市に住む誰もが通る道すじにあることから 芸術記号のデザイナーから 素人の「前衛作家」に至る多くの人々が往来し ティンゲリーがこの領域の後続を断ったことは いつしか 忘れ去られています
「都市の破綻の表現」は ジャンク・アートと呼ばれ 「前衛」芸術デザイン記号の一典型をなし 現代の芸術表現の幅広い裾野をかたちづくっています
芸術のデザイン記号として 定型化した「都市の破綻の表現」は 表現の主体を都市の無意識に委ねた作家が 必然的に たどりつく領域としてあります
ステラの芸術表現が漂着したのは ほかならぬこの領域です
ここにたどり着いたステラは まあたらしい工業素材と 最新のてくのろじーを駆使し 現在の機械文明がゆきつく果ての姿を映し続けます
ただし それらの表現も かつてティンゲリーがその極限を示した 「都市の破綻の表現」のなぞりのひとつにすぎません
そこに現出する「都市の破綻の表現」は そのまま ステラ自身の芸術表現の破綻した姿とかさなっています