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「メディアに咲く花」アンディ・ウォーホルAndy Warhol 

「僕は機械になりたい」と明言し

 現代の <生産・情報システム>こそ 表現も源泉だ と主張するウォーホル

 彼は 徹底しての方法をまね 広告 スターの写真など 現代の記号をそのまま 芸術の記号として再提出する 

ウォーホルのの機械化を賞賛しながら 批判を内包する表現は 概念的なひろがりをもつ

しかし 批判と賞賛がないまぜにされた その表現は しだいに 時代の風俗に埋没してゆくことになる

1928-1987 1928ペンシルバニア州マッキンポートに生まれ

1942  14歳チェコから移民 炭坑夫として働く父死亡

1945-49 ピッツバーグ カーネギー工科大

1949  21歳 ニューヨークに出 イラストの仕事

1960  32歳 漫画を題材にして絵を描く

1962  34歳 ドル札 キャンベル・スープ マリリン 惨事シリーズを制作

                 ファクトリーと呼ぶアトリエ持つ 映画製作も始める

1968  40歳 銃で打たれ重傷

1987 59歳  ニューヨークの病院で手術を受けたあと死亡

 

「アンディ・ウォーホルについてすべてを知りたいなら、僕の絵と映画、僕の表面を見るだけでいい

 そこに僕がいる 裏には何もない」

「アンディ・ウォーホル」日向あき子1987リブロポート

 

「現代では、人は誰でも15分間は有名でいられる」

「僕は退屈なものが好きだ まるっきり同じことが 幾度も繰り返されるのが好きなんだ」

「僕は存在のないものを描きたいと思っていた それで 実在する非実在というものを探していた

 そして見つけたのが スープ缶だった」

「POP WORDS ANDY WARHOL」マイク・レン編 1991. 河出書房新社 

warhol.jpg

 

「マリリン・モンロー」91.5×91.51cm 1967. (10枚組のうちの2枚)​​​

マリリン

マリリン・モンローは 二〇世紀アメリカの巨大なマス・メディアがつくりあげた セクシーな「女」の記号です 

一九六二年 ウォーホルは 彼女の死亡のニュースが流れると 即座に彼女を題材にすることを決めます 

ウォーホルのねらいは 完全なイメージの記号となった 「マリリン」を使い 現代の記号性と 私たちの情報の関係 をあからさまにすることです

生前 マリリンは 自分自身と スクリーンが生み出したセクシーな彼女の虚像とのギャップ に苦しみました

彼女は 本当の自分を見いだそうと さまざまな人生遍歴を歩みますが それが また マスコミにスキャンダラスにとりあげられ ますますその虚像をふくらませていきました

彼女の悲劇な死によって 実在した人物 マリリン・モンローは 生死を超えた 完全なイメージの記号となりました

今や 彼女は その悲劇性にも高められ 私たちの情感を刺激する 完璧な「女」の記号 となりました

現代の社会のなかで マス(大衆)としてあつかわれる私たちは 機械的に量産された記号によって 人間的な情感をかきたてられ 充足を得るようにうながされています

ウォーホルは 同じ一つの記号が マス(大衆)としての私たちに いっせいに 同じ感情的な反応を呼び起こす事実を 驚きをもってとりあげるのです 
彼は マスメディアの手法にならい 同じ記号のイメージを何度もくりかえして使います 

この作品で使われた「マリリン」のイメージも 六二年以来たびたび使われたもののひとつです

*ウォーホルは 派手な色彩のシルクスクリーン版と 写真の版を わざとずらします

派手な色彩にいろどられたマリリンは ルーズにずれた色面のあいだに引き裂かれて解体寸前です

ウォーホルは 彼がイメージに加えた 機械的なデザイン的作業の結果(色面のずれ 強烈な色彩)を ばらばらに浮遊させ <記号=マリリン>にほころび目をつくりだします

そのほころび目が <記号=マリリン>によって 情感に浸ろうとする私たちを 絶えず現実に引き戻します 

ウォーホルの芸術表現となったマリリンは 私たちが記号を前にしているという事実を 絶えず突きつけます 

​*ウォーホルは 最初は 正確に版を合わせてすろうとしたに違いない しかし 版合わせには 長年の経験による技術を要する 版がを始めたばかりの ウォーホルには その技術は望みようもなく どうしても ずれは生じてしまう 

彼が非凡だったのは すぐさま そのずれが 重要な表現の要素 になり得ることに気づいたことでしょう

現代の事物の記号性と見る行為

ウォーホルに先行して 現代の<事物の記号性による疎外>を考えたのは ジャスパー・ジョーンズです ジョーンズは 事物の記号性に歪められた 私たちの認識を取り上げました

私たちの日常の見る行為は 都市の求める 知覚・判断・行動の一連のプロセスのなかに 組み込まれています

そこでの見る行為は 事物そのものを見るのでなく 事物に負わされた意味 即ち 事物の記号性を素早く読みとることです

ジョーンズは 芸術表現によって 都市の時間の流れに対して 個としての時間をつきつけ 私たちの機械化された認識・判断・行動の姿を明らかにします

ジョーンズの芸術表現は 都市の時間の流れに対して 個としての時間 をつきつけ 私たちの 機械化された 知覚・判断・行動の姿を明らかにします 

現代の事物の記号性を生むデザイン

一方 ウォーホルも 現代の<事物の記号性による疎外>を考えます

ジョーンズが 事物の記号性がもたらす 私たちの認識の構造 に焦点を当てたのに対し

ウォーホルは 事物の記号性を生み出す 生産システムの構造 に注目したと言えます

ニューヨークで イラストレーターとして成功したウォーホルは さらに 現代芸術の芸術家への転身をはかります

「僕は何を描いたらいいのだろう?」と友人の間を聞いてまわったウォーホルは ついに 思い切った逆転の発想に達します

それは 次のようなかんがえです

かつての芸術は 彼には手のとどかない はるか彼方にあった

しかし もはやその場所に 現代の芸術はない

今や 自分の身近 自身が仕事とする デザイン表現の領域こそが もっとも芸術に近いのだ


都市の事物の記号化を進めるのが <生産・情報システム>に組み込まれたデザイン表現です

現在 私たちは<生産・情報システム> が生み出す記号性を帯びた 人工の事物に 取り囲まれて生活しています

かつて画家は 自然に美を求めましたが 現代の画家が描くべきは もはや自然ではなく 私たちを取り囲み私たちの情感を支配している 商標やパッケージ広告などの記号です

ウォーホルが身をおくデザイン表現の領域は <生産・情報システム> に組み込まれています

​大量生産 大量消費の現代社会では 二つの巨大構造 生産システムと情報システムが連動し <生産・情報システム>として働きます

その大がかりな運動は その上部に 不可視の構造 私たちのいう <記号システム>を生み出します

<記号システム>は いわば 時代のジェネレーターとしてあります

その 不可視のシステムは あたかも 時代の意志のようにはたらき 都市の情報・イメージ記号の全域を統御し 都市の記号空間を整備・増殖させます

現代都市は しだいに <生産・情報システム>の意図を超え 自身の記号空間を 発展・増殖させるかのようです

 


'Campbell's soup can'
1968 version(1961)

キャンベルスープを描いたウォーホルは、制作の動機を、冷ややかな調子で次のようにのべています


「あれをよく飲んだんでね 毎日同じランチを食べ続けたのだった 二〇年ばかり 同じものをいつも

 誰かが ぼくという人間は ぼく自身の生活によって 支配されていると言ったことがある 気に入ったね 」            POP WORDS ANDY WAR-HOL,Mike Wrenn, 1991, 河出書房新社

「ぼくという人間は ぼく自身の生活によって支配されている」という見方は デザインの職を得たウォーホルが 最初に叩き込まれた生産の側からの現実認識です

生産の側からみると 私たちを主体とかんがえる位相は反転し 時代の主体として活動しているのは <生産・情報システム>の方であり 私たちは マスと呼ばれる無個性な集団の一要素に過ぎなくなります

現代では 私たちは同じように記号を見 同じように感じ 同じように判断する集団として扱われます

ウォーホルは その事実を肯定するかのように スープ缶について次のようにも言っています


「僕は存在の無いものを描きたいと思っていた それで 実在する非実在というものを探していた そして見つけたのが スープ缶だった」 POP WORDS ANDY WAR-HOL,Mike Wrenn, 1991, 河出書房新社

デザインの手法こそ表現

デザイン表現は 個人の側に立った表現でなく <生産・情報システム>の側の必要が生む表現です

無機的 機械的な<生産・情報システム>が 私たちに生産物をさし出すには 人間的な<暖かさ>を軸に 主体を私たちの側に反転させる必要があります

その反転を可能にする仕事がデザイン表現です

べつの言い方をすれば 機械の生産物に 人間的なニュアンスをつけ加え 機械と人間の間を埋めるのがデザイン表現です

デザイナーは 個を<システム>の意図に同調させ 報酬と引き替えに 機械の意図に 人間の記号を着せます 
六〇年代に登場する ポップ・アーティストの多くは 何らかの意味でデザイン業に関わり 機械と人間的なニュアンスの落差を埋める仕事をし その落差の大きさと 自分の仕事の果たす働きを驚きを もって見た人たちです

ウォーホルは 商業美術は機械的だったか? と問われて 次のように答えています

ここには <生産・情報システム>という機械の側に立って 人間的な記号を生み出すという デザイナーの矛盾した役割が語られています


ウォーホルの靴のイラスト
ウォーホルは「商業美術は 機械的だったか?」と問われ 次のように答えています

​この答えには <生産・情報システム>の側にたち 人間的は記号を生み出す デザイナーの矛盾した役割が語られています

 

「いや、そんなことはなかった。ぼくはそれでお金を貰っていたのだし 何でもいわれる通りにやったんだ 靴を描けといわれれば 靴を描いたし どこか直せと注文されたら そのとおりに直した ・・・そうした「手直し」のあとでも 商業美術としてのドゥローイングには フィーリングがあった そしてスタイルがあった ぼくを雇った人びとの仕事に向かう姿勢にも フィーリングとか 口ではいえない特別な気分が感じられた 自分の欲しいものを正確に理解していて どうしてもそれを創れといって譲らないんだ 時には 生の感情をぶつけてくることもあった 商業美術の制作過程というのは かなり機械的なものだったけれども そこに携わる人間の姿勢には 何かしらフィーリングがあったと思うね 」

[What is Pop Art? ] ART NEWS ,1963 ,November ,Interview by Gene.R.Swenson 美術手帳1987 6月号 に採録

​  

​ウォーホルの靴のイラスト 「Judy Garland」1956

1949年 ニューヨークに出たウォーホルは イ・ミラー靴会社で イラストレーターとして出発する

ここでウォーホルが「ぼくを雇った人びとのフィーリング」とか「特別な気分」とよんでいるものは

無論 「ぼくを雇った人びと」自身の情感ではなく 人々の購買意欲を刺激するための 架空の情感です

そして その架空の情感の表現が デザイン表現のめざすところのものです


「4つのキャンベル
スープ缶」1962

キャンベルスープ缶 

ウォーホルは スープ缶を選び その 記号性をあからさまにする表現を模索します

とは言え 彼も はじめはどう表現すればよいか分からない様子でした

最初に彼が試みたのは 従来の画家のように 実際の缶を描写することです

彼は 空き缶を重ねて描いたり ラベルが破れた缶を描写したりしています

人間的な情感をあらわすラベル がはがれると 缶は何のニュアンスも持たない無機的 機械的な大量生産品の相をあからさまにします

しかし それらの描写表現は 事物の記号性を主題にしたイラストレーションでしかありません

これらの表現では イラストレーター ウォーホルのままです

メディアの時代の 現在 を一発で射抜くような強力な表現方法があるはずだ

ウォーホルは その表現方法を求めて模索します

 

 

「引き裂かれた大きなキャンベルスープ缶」182.9×136cm.1962


 

「Brillo,Del Monte and Heinz Cartons」1964

ブローウェイの広告が即芸術

「ポップ・アーティストたちは ブロードウェイを歩けば誰でも一瞬のうちにわかるイメージ・・・ コミックス ピクニック テイブル メンズ・トラウウザー 有名人 シャワー・カーテン 冷蔵庫 コーク瓶・・・

つまり 抽象表現主義のアーティストたちが つとめて無視しようとしていた すごく現代的なものすべてのイメージ をつくった」   POPism, Andy Warhol & Pat Hackett, リブロポート,1992

<生産・情報システム>が 資力を注ぎ込んで生み出す 広告の記号性は「ブロードウェイを歩けば誰でも一瞬のうちにわかる」圧倒的な表出度を持っています

都市空間はそれら広告をはじめとする 記号化された架空の人間的なイメージ で満たされています

ウォーホルが ブロードウェイの広告塔を取りあげて語りたかったことはこうです
現在 時代のイメージのありかは もはや芸術にはなく すべてこの広告塔に移ってしまっている
今や 画家が すでに過去のものとなった芸術のイメージや 手わざを披露することに 時代的な意味はなくなってしまった

今 画家が現在を表現するには あのエリート芸術家デュシャンが既製品を「選ぶ」ことを芸術表現としたように 圧倒的な表出度を持つ それら広告塔の上の記号を選び取り 個の表現の脈絡に置けばよいはずだ 

広告塔の上の記号は 芸術表現の素材ではなく それこそ芸術表現そのものだ 

デザイン表現イコール芸術表現

ウォーホルは スープ缶の記号を描写するのでなく 記号としてそのまま提示することに思い至ります

デザイン表現によって つくられたもとの缶のラベルは 強い線と明るい色彩で 誰の目にもすぐそれと分かるように描かれています

そのデザイン手法を そのまま採用し 缶自体を描けば 缶の記号性は 否応なく見事に強調されるはずです 画家の手わざは 缶の記号性を強調するためにだけ使われます

ウォーホルは 缶の記号性を より強調するために シルクスクリーン版を使い まるで缶のラベルそのものを生産するするかのように 繰り返し刷りました
同じ缶を主題にすえるにしても 缶を描写することと 缶を記号として繰り返すことには 大きなへだたりがあります

それはデザイン表現が ついにそのまま芸術表現として 同じレベルに置かれたことを意味しています

それはウォーホルの「コロンブスの卵」的な 大発見でした

彼の携わってきたデザイン表現こそ 現代の芸術表現に最もふさわしい表現でした 
以後 一九六〇年代には 雪崩をうったように多くのデザイナーや アーティストが デザイン記号イコール芸術表現とする領域に参入し ポップ・アートを展開します

「僕のシルクスクリーンの開始は62年の8月だった (中略)それはまったくシンプルだった 

・・・すばやく 偶然性に満ちていた 僕はこのシルクの手法に戦慄をおばえた」

                                                                 特集アンディ・ウォーホル美術手帳 1987. 6.


ウォーホルとジョーンズ 1964 
ウォーホルの芸術表現の登場によって ジョーンズは自らの表現の根拠を失った

前世代のジョーンズは ビール缶を題材にし ブロンズで作った缶の上に ラベルを入念に描きこみ 事物の記号性を批判的に表現しました

彼の表現の基底にあったのは 記号の高みに芸術表現がすえられ 缶の記号がその下層に置かれた芸術と日常の事物のあいだの価値観の落差でした

ジョーンズの芸術表現は その落差をあからさまにし 批判することに意味がありました

彼の芸術表現は その落差を逆転させた時に生じる衝撃力のうえに成立しています

しかし その逆転が現実のものとなり 芸術の記号と日常の事物の記号の落差が消滅すれば 彼の芸術表現はその意味を失う運命にあります

それはジョーンズが 抽象表現主義から 芸術の至上性をうけついだことからくる矛盾でした
一方 ウォーホルが デザイン記号を採用したことの意義は 今や <生産・情報システム>のもとでは 芸術と事物の記号の落差が埋められ その逆転さえ起こっている という状況をあきらかにしたことにあります

ウォーホルの芸術表現により ジョーンズの表現の根拠は失われ 彼は次世代のポップ・アートにその場をゆずります


「Cow Wallpaper」,1966.

機械になりたいウォーホル

ポロックの「私が自然だ」という叫びと ジョーンズをはさんで二世代下にあたるウォーホルの「私は機械になりたい」という言葉は 見事な対照をえがいています

かつてポロックは 至上のものとする自らの作品を「高尚な壁紙」と批評され 激怒し 落胆しましたが  その話に触発されたのか ウォーホルは 進んで壁紙の作品を作ります

一九六六年の個展では レオ・キャステリ画廊の壁は牛の壁紙で覆われます


レオ・カステリ画廊に展示された牛の壁紙

デザイン表現などの 日常の事物の記号性イコール芸術表現 と考えるウォーホルにとって 壁紙として表現することには何の支障もなく むしろ あらたな表現領域の拡大でもありました 
ポロックは あくまで個人の側に止まり 現代の<生産・情報システム>に背を向け 自己の内面に自然を探りました

一方 ウォーホルは <生産・情報システム>こそ現代の表現の規範たり得る と主張するのです

それは 彼がデザイン表現に関わり <生産・情報システム>こそ 高度な記号性によって 人々の認識を変容させ 現代を支配していること を強く認識したからに他なりません

彼は 個人表現と逆立する<生産・情報システム>の 機械的な表現を <映像記号 デザイン表現=芸術表現>として短絡させます

彼は <生産・情報システム>の意図そのままに 自らの芸術表現を展開しようとするのです

その悪意を秘めた短絡は ただの<システム>の賛美を装った <システム>の機械的構造の批判です

彼の戦略は 言わば諸刃の刃であって 批判としての差異を賛美のうちに失う可能性は充分あったのです  この戦略をとった時点で ウォーホルのその後の展開は決定されたと言えます

ウォーホルのファクトリー

ウォーホルは <生産・情報システム>を徹底して模倣します

ウォーホルは 自らのアトリエをファクトリー(工場)と呼び 制作を分業化し 芸術の制作をデザイン労働のように扱いました

彼は 素材として デザイン表現 マスメディアに流れる事件 スターの肖像 を選ぶだけでなく

選んだ素材を <システム>のもとのデザイン表現の手法で 機械的に繰り返します

それは 彼が <システム>が同じ記号を何度も繰り返す 繰り返しの手法こそが 人々の認識をコントロールする方法だ といち早く気づいたからに他なりません

 


キャンベルの箱を量産するウォーホルのファクトリー 

機械的な繰り返しのためにシルクスクリーンは重要でした 

写真を引き延ばして製版した シルクスクリーンを使えば キャンバス上に何度も同じイメージを 機械的に繰り返せます スクリーンの網目によって 画像の密度は元の画像より荒くなり 密度を減じたイメージは 元来の無機性を一層強調されます

「こんな描き方(シルクスクリーンを使うこと....筆者)をしているのは 機械みたいになりたいからで 機械みたいにしてやることが自分のやりたいことだって思うんだね」

[What is Pop Art? ] ART NEWS ,1963 ,November ,Interview by Gene.R.Swenson 美術手帳1987 6月号 に採録

 

 


ファクトリーに出入りした美少女イーディ

「機械になりたい」ウォーホルのファクトリーは 実は機械になりきれない人間の集まりでした

そこでなされたイメージ記号の繰り返しは 最初にふれた「モンロー」でもみたように 本当の機械のように整然となされたのではありませんでした 
その繰り返しは ぎくしゃくとしてぎこちなくなされ 取って付けたような派手な色彩や わざと残される版のずれは 機械化を強いられ 破綻した人間の姿を感じさせます

ウォーホル版画のプロセスのぎくしゃくとした繰り返しは、  都市の機械的プロセスに取り込まれ疎外される私たちの姿を鏡のように映し出しています。

ファクトリーには 実際にウォーホルが雇い入れた助手の他に 芸術と日常のはざまをさまよう種々の人々が出入りしました


映画「ロンサム・カウボーイ」1968

そのなか常連の一人 美少女のイーディ・S・ポストらを使って ウォーホルは映画を撮りはじめ その後の表現活動のひとつとしました 彼の映画製作も 版画と同様に 映像制作の機械的プロセスがぎくしゃくとなぞられたことは言うまでもありません 

映画製作にもからんで ファクトリーにはますますさまざまな人が集まるようになります 

一九六八年 ウォーホルは ファクトリーのなかで男性抹殺団(SCUM)の創立者を名乗る女性 ヴァレリー・ソニラスに狙撃され瀕死の重傷を負います

それは 六〇年代に花開いたポップ・アートが変質し 終わりを迎えたことを象徴する事件でした

ウォーホルのファクトリーに象徴されるように 全くの門外漢や 自称芸術家など種々の人々が集い 何かを生み出すという六〇年代の潮流はここに終わりを告げます


Flowers' 1964, 58.4×58.4cm

かつて画家は花を求めて自然に向かいましたが

ウォーホルが見つけた花は自然のそれではなく 現代のメディアのなかに咲く記号の花です

彼の「花」という作品は 雑誌に掲載されていた 素人の投稿写真をそのまま拡大して版にしたものです 選ばれた花の写真は その図柄が花であるという最低限の概念以外のすべてを無視されています

何の変哲もない可憐な自然の花の写真は 機械的な版画制作のプロセスを経て 元のイメージとは 似ても似つかぬメディアの花に変容しています 

写真に写る小ぶりな花は 実物のスケールとはほど遠い 巨大なイメージに拡大され 実物の淡い色合いを無視され どぎつい原色で刷られています

ここにあるのは 実物とはかけ離れた位相に移され 再び記号化された花のイメージです

それを作り出したのは ウォーホルの悪意です

彼はおそらく 自分はメディアのやり方を機械的に真似ただけだ と言うのでしょう

その制作に悪意が介在するとすれば それは 記号化したイメージを繰り返し差し出し 人々の認識を操作し 消費にかりたてる <生産・情報システム>の意図そのものではないか と 

なぞりの美学

通常版画において 版のずれは 画面の有機的な表現空間をは単させる悪しきものとして 注意深く避けられます  ずれのない精密な刷りは 長年の研鑽を要し 版画家や刷り師が プロであり 刷られた作品が 芸術作品であることを証明するものです

素人の集まりでしかない ウォーホルのファクトリーの版画制作では ずれは排除しきれず たびたび生じます

めまぐるしく 状況を変えてゆく 都市の現在に参入しようとする ウォーホルには 技術の研鑽に費やす時間は残されていません そこで 彼は この避けがたい現実を そのまま受け入れます

<美>の常識は 反転させれば 逆に<美>の背後に隠された 現実を映し出す 重要な表現の要素となります

ウォーホルは<美>の常識を反転させ 版画制作を イメージを提出するためのプロセスでなく むしろ 機械的なプロセスを明らさまにするための営みに 転換します
ずれよって ほころび目のできたた画面は そこの使われるイメージが ウォーホルによって切り取られた都市のイメージ記号の残骸であり 無機的 機械的な 版画のプロセスを経て 再生産・増幅されたことを塗料を盛り上げてペイントしたりしますが これも上にくる版のイメージとずれています

最もずれが強調されているのが イメージの図柄を機械的になぞった線描の版です 

これらのずれは 彼の版画を 良い趣味の表現として見られること また 日常の記号として見られること の双方に抵抗します 
 

「機械になりたい」と言う ウォーホルのファクトリーでなされる仕事は 言わば壊れた機械のそれです  版画のずれは 機械になりきれない彼の現実を そのまま映し出しています 

機械になりきれない彼の姿は またそのまま機械文明のうちに生きる 私たちの姿でもあります

彼のぎくしゃくとした <生産・情報のシステム>のなぞりは 私たちの日々の営みを 機械のレベルに組み入れてしまう 現代機械文明への批判と告発としてありました 

しかし <システム>の賛美をたてまえとする 彼のぎくしゃくとしたなぞりの手法は 芸術表現の一様式とみなされ 評価を得るにつれて<生産・情報のシステム>に吸収 同化されていきます 


六〇年代のポップ・アートの黄金期導いたウォーホルの芸術表現は 現代都市を飾る一つの趣味風俗として 次第に時代のなかに埋没してゆきました 

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マリリン・モンロー」91.5×91.5cm 1967 10枚組のうちの2枚SS.jpg
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「引き裂かれた大きなキャンベルスープ缶」182.9×136cm 1962.jpg
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