精神のダイナミズムからみる芸術表現
私たちの日々の生活は 外的環境である自然や社会システムを対象化し それに働きかけ 私たちの求める形に変えることの積み重ねとして成り立っています 前項では その営みを「疎外」とその解消としてとらえ 芸術表現ばかりか 人間のすべての営為の基本的な構造だと考えました
ここでは、「疎外」とその解消をめざす私たちの生きる営みにさらに踏み込み その「モーター」の部分にあたる精神の活動を「精神のダイナミズム」としてとらえてゆきます
そこから 芸術表現のより具体的なイメージを得たいと考えます また それが私たちのこれまでの「疎外」の概念にまとわりついていたネガティブなニュアンスを取り除くことにもなるかと思います
個の「精神のダイナミズム」は 肉体が立脚する自然や社会システムに対する精神の相互作用によって起ち上がります
精神は自らのうちで自らの存在を含めた外的世界を対象化し自己の内的世界を築き上げ さらに 自己の内的世界を現実化することを望みます しかしその働きかけは 精神自らは なすことができず 肉体を通してのみなされます その働きかけは いわば精神(四次元)から現実(三次元)への写像の投影(マッピング)としてなされることになります
したがって 働きかけの結果と精神の間には必然的に齟齬が生じます それが「精神のダイナミズム」のさらなる転回を生んでゆくのです
この様子は 社会や自然である基盤の一点から 精神が螺旋状に逆円錐形を描いて上方へと立ち上がる姿としてイメージすることができます むろんその軌跡は 規則的なものとはならず ゆきつもどりつ 時には一気に駆け上がったりというふうに変動し 結果として固有の逆円錐形の広がりを描きます
個が生を紡ぐ営みの根底には このような 「精神のダイナミズム」の転回が想定できます
「精神のダイナミズム」を基軸にすえた個々人の営みが 思想をはぐくみ 科学・技術を生み 文化・芸術をつくりだしてきたとみることができます また それらの営みの総体が人間社会を生み出してきたともいえるでしょう
芸術表現をこのような「精神のダイナミズム」が生み出す営みのひとつとして考えます
したがって 「精神のダイナミズム」からみる芸術表現は 私たちには手の届かない美を生む特殊な秘儀や美学の崇高な理論の対象物である前に 私たちが生を紡ぐ基本的な営みのひとつとしてあることになります
精神のダイナミズムと記号システム
二十世紀に入ると 現代社会は 科学・技術の発展を通して事物の機能と時間の効率を追い求めました その必然として前章でもふれた記号システムが社会全体を覆います その結果 記号システムは自らの空間を増殖させ高度化させてきました そのため 現代においては 個の精神のダイナミズムは 社会の側で稼動する記号システムと対峙し逆立するかたちで起ち上がります
このような状況下において 芸術を生み出す精神のダイナミズムは二つに大別されることになります
作家が精神のダイナミズムの軸を社会に置き 社会の求めに比重をかけた美を生む作業に進めば その表現は都市の美の「芸術記号」として記号システムに組み込まれることになります 実際 都市にあふれる大半の表現はこの芸術の範疇にあるといえるでしょう
また一方には それらの美の芸術記号を生む営みとは一線を画し あくまで個の側に軸を置いた精神のダイナミズムが存在します この立場でなされた表現は 時代の制約に隠された人間の本質を開き 世界観を塗り変える働きをもつといえるでしょう
このような観点に立てば 前衛芸術として一括されてきた現代芸術をそれらの個的な意味の差異から分別することを可能にします 無論 ここで私たちが焦点を当てたいのは 後者の個の領域に基軸をすえた精神のダイナミズムによる芸術表現です
デュシャンの「知のダイナミズム」
個々の画家は その資質に生育歴の影響が加わり さまざまな知性と感性のありようを持ちます
知性と感性のありようによって 画家はそれぞれ固有の精神のダイナミズムを描くとかんがえられます
アメリカ現代芸術において 「知」の概念的な位相で芸術表現をくりひろげた作家の代表例としてマルセル・デュシャンをあげることができます 「知」の営みを強く感じさせるデュシャンの精神のダイナミズムは「知のダイナミズム」と呼べそうです
デュシャンが「類まれなる知的好奇心」を核に「知のダイナミズム」を起ち上げる知的資質は 比較的裕福な家庭環境によってはぐくみ育てられています
またそこには 彼が、アインシュタイン ボーアらがそれぞれ相対性理論や量子論を発表した 近代から現代への時代の変動期に直面したという時代的要素が作用しています
このように 作家固有の「精神のダイナミズム」には 彼が社会のどのような層に身を置きその資質をはぐくんだか また 彼がどのような時代の時期に生きたかが大きく関わっています
若きデュシャンは 近代の最前衛であるキュビズム絵画のさまざまな展開を試みるものの飽きたらず 「階段を降りる裸体No.2」1912において 位相の異なる芸術と物理学を結びつけ 芸術と科学双方の限界を露呈させる表現を展開しています その後 彼の「知のダイナミズム」が向かったのは 時代 人生 芸術、科学を徹底して問いつめ それまでの芸術に組しないばかりか 他の思想や時代の主役である科学にも従属しない 時代に対する批判の表現を成し 精神の自由を体現することでした
ポロックの「情念のダイナミズム」
知的高みから精神のダイナミズムを立ち上げたデュシャンに対して、無意識のレベルを含む精神の情念のすそ野から現代の芸術表現を投げかけた作家に ジャクソン・ポロックがあげられます
ポロックは デュシャンとは対照的に 貧農移民の一家に生まれ ひとところに長く留まることのない苦難の移住生活のうちで育ちます またちょうど大恐慌であえぐ二ユーヨークでその青春期を過ごします 社会の底辺での生活は 彼の情念的な資質と 社会の矛盾や人々や自己の愛憎に過敏に反応する感性をはぐくみました
社会の底辺にあったポロックは 埋めようのない欠落感 飢餓感を核に無意識の領域から突き上げてくる激しい感情を動力とする「精神のダイナミズム」を起ちあげます ポロックの「情念のダイナミズム」は その主要素が無意識レベルにあることから 時には 彼の意図を超えたレベルで作動し 世俗的な成功をめざして始める彼の芸術表現を時代の先端へと押し上げてゆきました 彼の芸術表現は 無意識レベルの情念的要素をそのまま直接表現に結びつけたことによって開花しています 彼の「精神のダイナミズム」はさしずめ「情念のダイナミズム」と呼ぶことができそうです
そうすると デュシャンの「知のダイナミズム」とポロックの「情念のダイナミズム」を両極として二〇世紀アメリカ現代芸術の領域が広がっているとみることもできるでしょう
このように 個々の作家のさまざまな「精神のダイナミズム」の軌跡をとらえることから 現代の芸術表現のあり方を明らかにしたいとかんがえます